◇「内田茂氏は闇にいたからこそ、力を掌握できた。
ネットで存在が拡散した時点で、勝負はついた」
◇2016年11月1日号
副知事、知事を経験し、ドンと激しく対立した猪瀬直樹氏に都の権力構造と小池都政への期待を聞いた。(聞き手=谷口健/荒木宏香・編集部)
── 2007年に当時の石原慎太郎都知事の要請で、副知事に就任したが、自身の統括部局(ライン)を持っていなかった。
■副知事就任には、議会の承認が必要で、承認の条件が、「ラインの仕事はさせない」だった。「国との戦い」と「知事の特命事項」が私の副知事としての役割。言わば、パナソニックの副社長に就任したが、自分の管轄事業本部はなく、副社長室と秘書がいるだけのようなもの。既存事業本部ではなく、新製品開発事業部を作るしかない、と開き直り改革を進めた。私は選挙も受けていないスーパー官僚のような存在と思っていた。
── どんな改革をしたのか。
■07年秋、千代田区に予定されていた参議院議員宿舎建設の中止だ。既に周辺の工事も始まり、建設に移る直前だったが、森をつぶす建設計画に疑問を感じ、すぐ中止するよう石原知事に掛け合った。建設予定地に石原知事と複数のメディアを連れて乗り込み、「樹齢100年、200年の木を切ったらダメじゃないか」と提言すると、石原知事は納得した。
ところが、千代田区は内田茂都議会議員の地元。内田氏がドンである認識がまだ希薄だった私は、思うままに知事に進言し、計画を中止したことで、内田氏のメンツを潰し、怒りを買った。以来ずっとにらまれ続けていた。ドンとの対立の始まりだ。
◇反内田派の自殺と遺書
── なぜ、内田氏は絶大な権力を持つことができたのか。
■自民党東京都連の幹事長を......
(『週刊エコノミスト』2016年11月1日号<10月24日発売>31ページより一部を転載)