今、問い直す資本主義 経済学と哲学で説く新境地
◇吉川洋・経済学者、立正大学教授
「我々は資本主義に対してアレルギーを持っている」
◇萱野稔人・哲学者、津田塾大学教授
「資本主義が内在する危機を人類は常に乗り越えてきた」
日本を含む世界の先進国が、低インフレや格差の拡大、低成長など、根本的な問題に苦しんでいる。資本主義は限界か、失敗か、代替はあるのか。古くて新しいこの疑問の答えを探った。
(谷口健/大堀達也・編集部)
── そもそも資本主義とは何か。
吉川 市場をベースにした自由主義経済、そういうものを我々は資本主義と呼んでいる。
もっとも、メインストリームのど真ん中にいた経済学者のサミュエルソンは「混合経済」(キーワード1)という言い方をした。つまり、完全に自由放任の市場経済、いわゆる「小さな政府」「夜警国家」のようなものは19世紀に終わっており、当時(20世紀の中ごろ)の資本主義経済は、国が大きな役割を果たしている。それはケインズ的なマクロ政策、それから大きな社会保障、そういう意味で、サミュエルソンは混合経済という表現をした。19世紀とは姿が変わったとはいえ、資本主義は終焉(しゅうえん)していない。
萱野 資本主義とは何かについては、マルクス主義の「資本の自己増殖運動」という定義が今でも一定程度参考になると思う。つまり、「1」投資したら「1・1」でも「1・01」でもいいから、とにかく投資したものより大きなリターンが得られるという運動だ。
吉川 資本の自己増殖と定義すると、定義としてはやや危ういのではないか。例えば、経済はマイナス成長が数年間続くこともあり得るので、その定義で言うと、「マイナス成長している数年間は資本主義ではなくなっている」ということになる。
萱野 その点については、「資本主義は資本の自己増殖を『目指す』経済体制である」と明確化する必要があると考える。より大きなリターンを「目指して」資本を投下しても、実際にはそれが達成できない時もある。社会全体としてマイナス成長となる場合すらあるだろう。しかし、それで資本主義が崩壊するわけではない。資本の自己増殖そのものが資本主義を定義づけるのではないからである。肝心なのは、資本の自己増殖を「目指す」ことが、経済を駆動させる根本的な運動になっているかどうか、である。
吉川 ただ、例えば、企業は破綻することもあるが、破綻することを目的としているのではない。だから「目指す」が定義に入ると、定義として曖昧性が出てくるという感じがする。
萱野 やはり重要なのはその先で、「資本の自己増殖を目指す」という運動そのものが、歴史的にどのような条件の下で成り立っているかを考えなくてはならない。その条件の一番の基礎は、「私有権」(キーワード2)がそれとして数値化され得るということだ。
例えば、土地は、領主・臣下など、さまざまな社会関係から切り離されて、単なる私有の物件として価格が付けられ、それを担保にいくら借りることができて、それを元手に生産設備や労働力に投資したら、いくらリターンが得られるか。こういったことが可能にならないと、資本主義は成り立たない。
◇「低賃金が貧困を招く」/「労働所得の格差は深刻」
── 資本主義は今、何が問われているか。
吉川 資本主義はこれまで何度も“ダメ出し”を食らってきた。「資本主義が限界に来ている」とか「資本主義が終焉しつつある」という議論は、今回が初めてではない。
たしかに我々は、資本主義もしくは資本主義的なものに対して、ある種のアレルギーを持っている。「資本主義は冷たい」とか「資本主義は非人間的だ」という抵抗感をどこかで抱えている。だから、「資本主義万歳!」と高笑いする気にはなれないし、今でも経済が悪者になることはよくある。
萱野 マルクス主義的な見方では、資本主義の「限界」はしばしば資本の自己増殖が行き詰まることとして考えられてきた。資本の自己増殖が行き詰まるとは、既存の資本が余るなどして利潤率がゼロないしはマイナスになるということ。これが恐慌論や「帝国主義論」(キーワード3)を生み出してきた。
しかし、資本主義はあくまでも資本の自己増殖を「目指す」運動なので、その自己増殖が達成されなかったからといって、直ちに資本主義が終わると考えることはできない。
とりわけ、第二次世界大戦以降は、国家のマクロ政策が定着し、資本主義の行き詰まりを打破してきた。もちろん資本主義は既存資本の価値低下という「危機」を常に内在させているが、それは歴史的に繰り返され、克服されてきた「危機」なのであり、現在問われている資本主義の「危機」や「限界」も決して新しい現象ではない。
吉川 資本主義は、18世紀後半から英国で出てきて、ナポレオン戦争の後、19世紀の前半から、英国、フランス、ベルギー、ドイツ、米国、日本と順次、資本主義国が出てきた。19世紀は大格差社会。それを真正面から言ったのがマルクス、エンゲルスだった。共産党宣言は1848年だ。
資本主義経済国が大格差社会となるなか、マルクス経済学で言う「窮乏化」(キーワード4)もよく議論された。このレジーム(体制)はダメだから、暴力革命によって社会主義や共産主義に変わらなければいけないということだった。
資本主義に対する“ダメ出し”としては、19世紀のマルクス、エンゲルスの議論は歴史上最大だろう。しかし、結局のところ、資本主義に代わるオルタナティブ(代替)が見つからない。
萱野 「働いても給料が上がらず、格差は広がるばかり」という現状から資本主義を否定したくなる気持ちは、分からないではない。しかし、人類社会にこれだけの豊かさをもたらした経済システムは他にないということも理解しなくてはいけない。
例えば、近代資本主義社会が成立する以前、欧米でも日本でも平均寿命は30~40歳ほどだったと推計されている。しかし今は、ほぼ2倍になった。マルクス主義者はしばしば窮乏化論を展開するが、人々が資本主義によって窮乏化したのなら、平均寿命は逆に短くなっているはずだ。
吉川 私も全く同感で、今、資本主義に対する“ダメ出し”というのは筋が違っている。閉塞(へいそく)感があるということと、だからシステムとしての資本主義がダメとは思わない。
歴史を振り返ってみると、多分、19世紀、20世紀が直面した本当に危機的な状況に比べれば、まだマイルド。だから、全く問題ないとは言わないが、今の問題は、桁が一つ小さいと思う。
(続きは『週刊エコノミスト』2017年5月2・9日号にて)
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