岩村充(早稲田大学大学院経営管理研究科教授)
8月1日夜、固唾を呑んで情勢を見守っていた関係者は少なくなかったろう。中国を本拠とする企業グループが、全世界のビットコイン所有者に対し、彼らが所有しているビットコインと同量の「ビットコインキャッシュ」を持っているものとみなし、この夜からその決済を支えると宣言していたからだ。宣言は実行され、その瞬間、ビットコインは「分裂」したのである。
ところで、なぜ分裂などということが、それほど簡単にできるのだろうか。それは、ビットコインとは、インターネット上で共有されている仮想帳簿上の数字記録に過ぎないからである。
ビットコインを日常の決済に使おうとするときは、「ウォレット」などという名のソフトウェアの助けを借りて受け払いする。だが、それはソフトウェアを通じて、インターネット上の仮想帳簿に書かれている数字記録を見たり動かしたりしているだけのことだ。
そうした仕組みを知れば、今回のことが魔法でも手品でもないことが理解できるだろう。分裂派がやったことは、仮想帳簿の特定のページまでの記録をもとに、そこから今までの「ビットコイン」とは別の仮想帳簿を定義し、そこに記録される数字に「ビットコインキャッシュ」という名を与えただけのことなのだ。
今回の分裂には、失敗だという見方がある。その根拠は、後で述べる「マイニング」というプロセスが、分裂後の数日を見る限り、極めて緩慢にしか進行していないからだ。だが、それだけで分裂は失敗と決めつけるのは、いささか早計である。
新たな仮想通貨の独立
ビットコインでは、その流通を支えるインターネット上の仮想帳簿の一枚一枚のページを「ブロック」といい、ブロックが連なった仮想帳簿の全体を「ブロックチェーン」という。また、各ブロックには、ブロック内に記録されている取引が二重払いその他の不正でないことを確認した証として、消印のような役割を果たす数字が書き込まれている。それが「ハッシュ値」である。
ただし、このハッシュ値は単純な計算で書き込めるわけではない。詳細は省略するが、このハッシュ値を書き込むためには、膨大な電力コストを要する面倒な計算問題を誰よりも先に解かなければならない。
それに挑戦するのが「マイナー」と呼ばれるシステム参加者であり、彼らの行う問題解き作業が「マイニング」である。競争に勝ったマイナーには、ハッシュ値を書き込むブロックの中に一定量のビットコインを自分のものとして書き込む権限が与えられる。要するに、彼らの競争とは仮想空間における宝探し競争なのである。これがマイニングつまり採掘という名の由来である。
そう整理すれば、今回のビットコインの「分裂」とは、要するに図1に示すようなブロックチェーンの分岐だということが分かるだろう。これを「フォーク」という。
ちなみに、ブロックチェーンに分岐が起こること自体は異常なことではない。自由参加型のマイニング、つまり数値計算競争に信頼性の根拠を求めるビットコインのようなシステムでは、問題が2人以上のマイナーに微妙なタイミングで解かれることで分岐が生じることはあり得る話だからだ。また、システムの仕様変更などのために、参加者間の合意により一時的な複数チェーンの並列が許容されることもある(これを「ソフトフォーク」という)。
ただし、前者の分岐の場合には、分岐後の延伸が短い方のチェーンが伸びなくなって自然に分岐が解消する決まりになっているし、後者の分岐は、もともと一定の条件を満たしたときにチェーンは再統合されるという約束事で始まった分岐だから、条件が成就すれば分岐は解消する。
しかし、今回のビットコインの分裂は、一つの仮想通貨からの別の仮想通貨の「独立」であり、分岐は恒久的でもとに戻ることはない。こうした恒久的な分岐を「ハードフォーク」というのだが、それはドルや円などの「普通の通貨」では、まず経験のないことなので、それが何をもたらすかを考えるためには、ビットコインの価格形成プロセスがどんなものか。それをチェックしておく必要がある。
変動しやすい価格
ビットコインの価値の背景にあるのは、それを生み出すのに要する費用、すなわち計算に要する電力コストである。これは、資産としての金や銀の価格が長期的には採掘費に依存するのと同じことなのだが、ビットコインの価格形成には、金や銀におけるそれとは異なる不安定要素があることに注意しなければならない。
金について言えば、その供給すなわち現存する金の量が所与であることが分かっていても、金価格が上昇すれば眠っていた鉱山が活動を再開したり、より深い地下に眠る金を求める鉱山が開発されたりする。だから、その需給と市場価格は図2Aのようになると図解することができる。すなわち、需要の増大は金価格の上昇要因にはなるが、それは経済学の教科書でおなじみの供給曲線の右上がりによって相当程度までは吸収されるわけだ。
ところが、ビットコインの場合はどんなに需要が増減しても供給量は固定され変化することはない。ビットコインの生成スケジュールは、参加者が共有するプログラムよって固定され、その供給曲線は図2Bで示すように直立している。この結果、ビットコインの価格は将来に対するわずかな期待の変化でも大きく上昇したり下落したりすることになる。
しかも、一つの仮想通貨の分岐から生まれたビットコインとビットコインキャッシュは、互いに非常によく似た構造を持っているから、その相互間におけるマイナーの移動は極めて簡単になる。そうしてマイナーが移動すると、移動先の仮想通貨では、より多くのマイナーが競い合って計算問題を解くことになるので、自然にブロックが形成されるスピードが速くなる。
これは、その通貨がより便利になることを意味するから、人気も上がり価格も上昇するだろう。価格が上昇すれば、マイニングの採算は向上するから、それはより多くのマイナーを惹き付ける。すなわち、価格とマイニング活動との正のスパイラルが生じるわけだ。一方でマイナーが去った後の仮想通貨には、その逆のスパイラルが生じることを意味するものでもある。
そうした条件下では、ビットコインの価格とビットコインキャッシュの価格との間には、片方が上がれば他方が下がり、片方が下がれば他方が上がるという不安定が、わずかな見通しの変化から起こりがちになる。
新通貨が低迷する理由
ところが、今回の分裂後のビットコインキャッシュのマイニングの状況を見ると、マイニング作業は、自らビットコインキャッシュを作り出した企業グループ自身によってすら、ごく細々としか行われていない。それが、分裂によって痛手を受けたはずのビットコインの価格が高位安定を保っている理由となり、分裂自体は失敗だったとする見方の根拠にもなっているのだが、その認識でよいのだろうか。
そうとも言い切れまい。ビットコインキャッシュにおける計算問題には、6ブロック単位で平均形成速度を測って、あまりに遅い場合は問題の難度を下げてマイニングの負担を軽くするというルールが組み込まれている。その点に注目すれば、ビットコインキャッシュのマイニングの緩慢さは、分裂派の自作自演である疑いすら生じる。彼らは、まずは計算問題の難度を引き下げ、その後に本格的なマイニングに入ろうとしているかもしれないのである。
また、別の筋書きとして、有力なマイナー集団から構成されているとされる分裂派の企業たちは、これまでのビットコインのマイニングで大量のビットコインを保有しており、だから、しばらくはビットコインの相場を大きく崩すようなアクションを避け、まずは手持ちのビットコインをある程度まで売り抜けることを優先しているということだって考えられるだろう。
事実がそうなのかどうか、それは分からない。ただ、こうした双子のような関係にある仮想通貨の間でマイニングのパワーを自由に移動できる大手マイナーについては、通貨価格の信頼性保持という観点から、その立ち位置についての整理を求める声が出て来てもおかしくはないように思われる。
多数決より競争
しかし、今回の分裂についての評価とは別に、分裂ということ自体について強調しておきたいことがある。それは、仮想通貨の分裂は「災厄」ではないということである。ビットコインのような不特定多数の人たちに共有される仮想帳簿的な仕組みが進化するためには、分裂という形をとるのは自然であり、むしろ健全なことだからである。
中央管理型のシステムでは、中央管理者が自身の判断によりシステムを作り替えていく。しかし、ビットコインのように自らの意思で行動する人々の集まりが作り出したシステムでは、意見の相違を投票や多数決で解決するよりも、互いの立場を認め合って分離独立し、評価を市場に委ねた方が好ましい。集まりの中に異なった意見や方向感があるときには、無理に一緒にいようとするのではなく、離れておのおのに発展の道を探る方が、人々により多くの選択肢をもたらすという点で、世界により貢献できるからだ。
ビットコインのようにマイニング競争で自律的に運動するエコシステムが「進化」するためには、もともと多数決よりも競争が向いているのである。
とは言え、今回の分裂派の試みについては、いかにも惜しいところがある。彼らが本気で新しい通貨を生み出そうとしたのなら、ビットコインと双子のようなビットコインキャッシュを作るのではなく、なぜこれまでにない新しい特性や機能を持つ通貨を作ろうとしなかったのか、そこに違和感を覚えるからだ。そうすれば、今回の分裂もただのパワーゲームのような展開にならなかったはずだ。
真の新通貨への期待
拙著『中央銀行が終わる日』(2016年・新潮選書)にも書いたことだが、ビットコインには、その仕様をあまり大きく変更しなくとも、①計算問題の定義を変更して、マイナーの参加や撤退が貨幣価値を不安定化させないようにする、②各人の持つ貨幣の名目量を時間経過に応じて増減させ、プラスまたはマイナスの利子を仮想通貨自体に発生させる、③マイナー収入を手数料依存から完全に解放し、通貨としての長期的な安定供給を確保する仕組みを導入する、など多くの新しい特性を付加することができる。
今回の分裂が、そうした新しさをアピールするものだったら、分裂後の仮想通貨の性質の違いは明確になり、マイナーの立ち位置に対する疑念も生じにくくなるはずだし、今までの通貨ではできなかった未来を拓く通貨として広く支持されることもできたのではないだろうか。
次には、仮想通貨の本当の「進化」となるような分裂の試みが現れること、それを期待している。
(2017年8月29日号『週刊エコノミスト』)