◇量的緩和の限界迫る
◇買える国債がなくなる時
日銀は9月1日、残存3年超5年以下の国債買い入れオペレーションを前回から300億円少ない3000億円にした。金利のマイナス幅が広がる国庫短期証券の買い入れ額を減らしたことから、市場では短中期の需給逼迫(ひっぱく)に配慮したと受け止められた。日銀の量的緩和の物理的限界を改めて意識させた瞬間だった。
市場は9月19、20日の米連邦公開市場委員会(FOMC)での資産買い入れ縮小開始を織り込み、欧州中央銀行(ECB)も9月7日の会合で、年末に当面の期限を迎える資産買い入れについて、縮小方針を示唆するとの見方が強い。
共通するのは物価目標2%を達成していない中で、引き締め方向へかじを切るしたたかさだ。米欧経済圏の景気拡大が維持されているうちに、金融政策の正常化の足場を固めることを優先する。そこには非伝統的政策と呼ばれる量的緩和政策の費用対効果が悪いとの判断がある。
一方、日銀は7月20日、物価目標2%達成時期を2019年度中に延期した。13年4月に年間80兆円の国債買い入れを柱とした異次元緩和を始め、黒田東彦総裁が「2年で2%達成」を掲げて以来、延期は6回目。18年4月に任期満了を迎える黒田総裁は再任されない限り、任期中の2%達成は不可能となった。
量的緩和で日銀が買い入れた国債は日本の国民総生産(GDP)に迫る約435兆円(8月末時点)にのぼる。日銀の8月末時点の資金供給量(マネタリーベース)は過去最高の469兆1626億円。物価2%が達成できないまま、このペースで買い続けると、23年中に発行額の9割を日銀が保有することになる。
日銀は16年9月、指し値で国債を買う「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」(イールドカーブ・コントロール〈YCC〉)と物価が安定的に2%を超えるまでマネタリーベースの拡大を続ける「オーバーシュート型コミットメント」を導入した。結果的に国債買い入れは年60兆円程度に減り、長短金利もほぼゼロ%に抑えられた。
市場の一部では国債買い入れ額の減少を「日銀事務方によるステルステーパリング(見えない緩和縮小)」と見る向きもある。しかし、16年9月20日の会見で、黒田総裁は『週刊エコノミスト』の問いに対し、国債買い入れ減少は「テーパリングではありません」と明快に否定した。
さらに、国債買い入れが減ったことをテーパリングと市場に受け止められないために、地方債や財投機関債の買い入れを選択肢から外さないのかとの問いに対して、黒田総裁は「可能性は論理的にあると思いますが、具体的に考えていることはありません。国債の買い入れもまだまだ十分可能ですし、スムーズに入札等も行われている」と答えた。
この回答に、物価目標達成と量的緩和をひも付けている日銀の弱点が示されている。YCCで金利をコントロールできているのは、国債市場の価格形成機能を大量買い入れで圧倒してきた過去があるからだ。現在のペースでも18年中に、日銀の国債保有額は発行額の過半を超える。19年度中に物価2%を達成できなければ、市中に残存する国債は名目で4割を切る。実際には、生命保険など長期運用が必要な機関投資家が国債を保持し続けるため、日銀が買える国債はさらに減る。木内登英・元日銀審議委員は「年60兆円のペースでも、18年中に限界を迎える」と警鐘を鳴らす。
国債が少なくなれば、金利の上下が激しくなる可能性が高まる。YCCでゼロ金利が維持できたとしても、市中に残る最後の国債を買ってしまえば、コントロールする対象そのものが失われる。
◇円安で企業業績は改善
日銀のオペレーションの対象は国債以外に、地方債、政府保証債、財投機関等債、社債、コマーシャルペーパー(CP)、手形、上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(J-REIT)などが含まれる。だが、発行残高は国債が約1000兆円に対し、他は数十兆円がほとんどだ。国債枯渇の代替としては規模で見劣りする。
また、地方債や社債は発行体格付けがそれぞれ異なる。ジャンク債でも買うとなれば、企業側の規律が緩むのは避けられない。それは企業そのものの破綻リスクも高める。
リフレ派には外債を買い入れ対象とすべきとの意見もあるが、これは為替介入そのものだ。日本国内の経済政策を理由に、買い入れ対象国が通貨高を容認するとは限らない。
こうした量的緩和の物理的限界は、これまでの日銀の政策効果の持続性を著しく低下させている。その最たるものが円安だ。
リーマン・ショックで金融機関の破綻が相次いだ米国は、金融システムを守るため、FRBが金融機関間の流動性を高める手段として量的緩和を実施した。ドルは急落し、円高が進行し、日本の輸出企業、特に大手電機は軒並み巨額の赤字に陥った。
FRBの量的緩和に、日銀の量的緩和で対抗し、円高の流れを逆転させる。日銀は政策目的としての通貨安誘導を決して認めることはないが、結果的に100円割れの円高を現在の水準に戻したのは量的緩和の成果が大きい。為替差益で輸出企業を中心に過去最高益が相次ぎ、景況感も改善した。
量的緩和の真の目的は、中国との競争力回復との見方もある。日銀の量的緩和後、「ドルベースで見た場合の中国都市部と日本の単位労働コスト(ULC)は逆転した(図2)」(星野卓也・第一生命経済研究所副主任エコノミスト)。13年以降、中国は経済成長に伴う賃金上昇が、円安によってさらに大きくなった。日本は逆に、経済停滞で賃金が伸びにくい中、円安によって更にドル建ての賃金は下落した。
その源泉は量的緩和第2弾(QQE2)の可能性が高い。外貨準備運用高がQQE2後に急増した(図3)のは明らかで、市場では「ステルス為替介入そのもの」(大手証券アナリスト)と見る向きは少なくない。
ただ、競争力が高まったはずの日本企業は海外輸出価格をあまり値下げせず、輸出数量は伸び悩む。「円安による日本への波及効果は期待したほど大きくなかった」(星野氏)。
問題なのは、巨額の国債買い入れと、想定を下回る効果が見合わないことだ。日銀のもくろみでは、量的緩和で円安による物価上昇、企業業績改善に伴う賃上げから物価上昇の好循環が起きるはずだったが、そうはならなかった。
今後、国債買い入れが減れば、量的緩和効果は対ドルで弱くならざるを得ない。この先、米国が景気後退局面を迎え、FRBが一転、利下げに動いたとき、巨額の国債購入ができない日銀の量的緩和は、円高をどこまで抑止できるのか。
日銀の量的緩和継続は、資産バブルを日銀自ら膨らませる。すでに土地価格は都心の一部とはいえ、1980年代のバブル期を超えるものも現れた。地価上昇を支えているのが、日銀の量的緩和による過剰流動性とゼロ金利であるのは間違いない。
◇日銀製バブルの恐怖
リフレ派は資産価格上昇に伴う企業の設備投資増を期待したが、これも実現していない。現実には投機的な資産投資を増やしており、日銀が物価2%達成まで量的緩和を続けるならば、自らバブルを膨らませる役割を果たすことになる。
80年代のバブル期、日銀は物価上昇率の安定を理由に、引き締めに動かず、土地の急騰を放任した。大蔵省(当時)が不動産業界への融資額の総量規制を行い、地価沈静を図ると、89年末に就任した三重野康総裁が利上げを実施。急激なバブル崩壊を招いた経緯がある。
今回、自らが醸成している資産バブルの芽を、またも物価目標を理由に放任すると、量的緩和が限界を迎え、さりとて利上げもできないままで軟着陸させることができるのか。政策余地は極めて限られる。
日本経済研究センターは8月30日、日銀が「出口」に向かう際の損失の試算結果を公表した。19年度に物価2%を安定的に上回った場合、20年度に約5兆8000億円の損失が発生する。準備金や引当金を含む自己資本は7兆8000億円しかなく、1年半で資本が枯渇するという。
(後藤逸郎・編集部)
(花谷美枝・編集部)