出口戦略を語るのはまだ早いと日銀は言うが、早すぎるリスクより、遅すぎるリスクを恐れるべきだ。
鈴木淑夫(元日銀理事、元衆議院議員)
日本経済の現状は、完全雇用の域に入っている。7月の完全失業率2・8%は、バブル末期のボトム2・0%には及ばないものの、インフレもバブルもなく順調に成長していた1986~87年と同水準であり、バブル崩壊後今日までの25年間では最低水準である。有効求人倍率は、7月に1・52倍と、バブル期のピーク(1・45倍)を上回った。
日本経済の現状は、完全雇用の域に入っている。7月の完全失業率2・8%は、バブル末期のボトム2・0%には及ばないものの、インフレもバブルもなく順調に成長していた1986~87年と同水準であり、バブル崩壊後今日までの25年間では最低水準である。有効求人倍率は、7月に1・52倍と、バブル期のピーク(1・45倍)を上回った。
バブル崩壊後低成長率を続けている日本経済が、早くも完全雇用の域に入ってきたのはなぜだろうか。21世紀に入ってからの先進5カ国とユーロ圏の国内総生産(GDP、実質)を、2000年を100とした指数で描いてみると、図1のように日本の成長が確かに一番遅い。しかし同じGDPを生産年齢人口1人当たりに直してみると、図2のように日本が一番高い成長をしている。つまり生産年齢人口の減少の割に、日本が一番高い成長をしているので、完全雇用になったのである。
GDPベースの需給ギャップ(需要と供給のかい離、日銀推計)を見ると、昨年第3四半期(7~9月)から需要超過となり、今年第1四半期(1~3月)の需要超過は0・79%のプラスとなっている。第2四半期(4~6月)のGDP成長率は年率2・5%(2次速報)となったので、1%弱の潜在成長率の下で、需要超過はかなり拡大しているはずだ。
日本銀行法によると、日銀は「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」(第2条)と書いてある。これを経済学の言葉に直せば、「持続的成長で完全雇用を維持し、国民の経済的厚生を高める」ことが最終目標であり、「物価の安定」はこの最終目標を達成するための中間目標、いわば手段である。これからは現在の成長と完全雇用を維持し、現在の物価状況の下で、国民生活の安定と向上を図るのが、法の定める日銀の使命であろう。
最終目標が達成されている時に、いわばその手段に過ぎない「2%の物価上昇」という中間目標に固執するのは無意味であり、論理の矛盾である。にもかかわらず日銀は、2%を超える物価上昇が安定的に続くまで現在の超金融緩和を続けるという「オーバーシュート型コミットメント」をしている。これは極めて危険である。
高度成長が始まった55年から今日までの60年間で、消費者物価(生鮮食品を除く)の前年比が「安定的」に2%を超えたのは、(1)企業規模別賃金格差が縮小した高度成長期後半、(2)初の円切り上げ後の過剰流動性インフレ期、(3)ルーブル合意以降のバブル最盛期、の3回だけである。
消費者物価の上昇率が2%を安定的に超える時は、日本ではミニバブルとマイルドインフレの時期であり、それは必ず加速して「物価安定を通じる持続的成長と完全雇用」を崩し、人々の生活を脅かす。そうなる前に超金融緩和を手じまうのが「出口政策」である。
◇長期金利はプラスに
出口政策のタイミングは、早過ぎても遅過ぎても失敗のコストが大きい。早過ぎれば、せっかく「流動性の罠(わな)(金利がゼロ近くになると通常の金融政策が効かなくなること)」から抜け出した経済を再び長期停滞に突き落としてしまう。
しかし遅過ぎると、マイルドインフレとミニバブルの下で、経済全体の投資効率は低下する。インフレとバブルが加速してからの急激な引き締めは、長期金利の急上昇で中央銀行や民間金融機関の保有資産の評価損を大きくし、通貨・金融市場・金融システムの信認が動揺する。政府も金利負担の上昇と国債市場の混乱で財政の信認が問われかねない。最終的な経済の長期的損失は、遅過ぎた場合の方が大きい。
日米欧先進国の中央銀行は、リーマン・ショックを契機とする金融危機と世界同時不況に対処するため、量的緩和政策(QE)、ゼロ金利政策、マイナス金利政策などの「非伝統的」金融政策を行ってきたが、その結果中央銀行の保有資産は対GDP比でそれ以前の2~3倍に膨れ上がっている。
従って出口政策では、膨張した中央銀行の保有資産を正常な水準に戻して、金利上昇時の損失を小さくし、また民間の金融機関や市場の保有資産を適正水準に回復して金融機関経営と市場機能を正常化することが目標となる。その手順は通常、中央銀行の資産買い入れ額の縮小・中止(QE終了)、マイナス金利・ゼロ金利の中止(利上げ開始)、中央銀行資産の圧縮、という順で行われる。
先進国の中で世界同時不況後の景気回復が一番早かった米国では、連邦準備制度理事会(FRB)が14年初めから資産買い入れ額を縮小(テーパリング)し始め、10月に資産買い入れを中止してQEを終了した。その間長期金利の急騰を避けるため、償還期を迎えた保有資産は補充し、保有資産総額の圧縮ではないことを示し続けた。
次に15年12月に、0~0・25%であったFFレートの誘導目標を0・25~0・5%へ引き上げ、ゼロ金利政策を終了。その後本年6月まで0・25%ずつ3回誘導金利を引き上げ、現在は1・0~1・25%である。10月以降、景気回復が予想通り順調に推移していると判断し、いよいよ長期金利上昇を伴う保有資産の圧縮に着手する。
一方、欧州中央銀行(ECB)は本年4月から資産買い入れ額の圧縮を始め、近い将来の利上げ開始を示唆している。
日本銀行は出口政策を始めるに当たり、まず意味を失った2%の物価目標を廃止するべきだ。そもそも2%は、13年1月に安倍晋三政権との共同声明で押しつけられたもので、何の実証的根拠もない。日本の場合、物価安定における消費者物価指数の適切な上振れ幅は、日銀が長い間主張し、12年10月の民主党政権との共同声明まで維持されていた1%である(詳しくは拙著『試練と挑戦の戦後金融経済史』〈16年、岩波書店〉を参照)。
現在の成長と完全雇用を維持するのに適切な金利水準を操作目標とし、資産買い入れはその手段として運用すればよい。恐らくその金利水準はマイナスである必要はなく、資産買い入れ額は縮小するであろう。
日銀預金へのマイナス金利の付利はゼロ金利に戻し、長期金利の目標を現行のゼロ%からプラスの領域に戻すことから始めるのがよい。その上で、日本経済の成長の強さと完全雇用持続を確認しながら、長短金利の操作目標を引き上げ、資産買い入れ額の縮小を進めるのだ。そうすれば、米欧の出口政策進捗(しんちょく)に伴う国際的金利上昇の波及も吸収できる。日本の出口政策が欧州より遅れているという印象は拭われ、過度の円安が進んで将来の急激な円高のリスクをため込むリスクは避けられよう。
大胆な量的緩和と2%の物価目標は、当初円高・株安の是正に効いたが、その後、持続的成長と完全雇用を実現したのは、金利低下の効果である。適切な金利水準を操作目標とする限り、量的緩和を絞り2%の物価目標を廃止しても、成長持続と完全雇用に悪影響はなく、国民生活の向上に資するであろう。
◇すずき・よしお
1931年生まれ。55年東京大学経済学部卒業、日本銀行入行。日銀理事、野村総合研究所理事長、衆議院議員(2期)を務めた。経済学博士(東京大)。鈴木政経フォーラム代表
(週刊エコノミスト2017年10月10日号掲載)