Interviewer 金山隆一(本誌編集長)
── 創業当初から体重計を作っていたのですか。
谷田 1923年にできた前身の会社は健康とは全く逆の商品、たばこのケースを作っていました。その後44年に祖父(故・五八士・元会長)がOEM(相手先ブランドによる受託生産)でトースターなどを作り、59年に体重計の製造を始めました。「ヘルスメーター」と銘打って売り始めたのは当社が最初です。祖父は体重計の普及を図り、商標は取らなかったようです。体脂肪計などでも同じように商標は登録していません。
── 体脂肪計の開発の経緯は。
谷田 日本初のデジタル表示式ヘルスメーターを作ったことが体脂肪計の開発につながりました。父(大輔・前会長)が社長だった92年に世界初の「乗るだけで測れる」体脂肪計として発売し、爆発的にヒットしました。その後、筋肉量など体の中身を測れる世界初の業務用「体組成計」へと発展し、現在は売上高の約5割を占めるメインとなっています。
── 競合も多いですが、強みは。
谷田 原点のものづくりに力を入れていることでしょうか。秋田と中国・東莞の自社工場で作っています。体脂肪計を開発した後も「もっとうまくできる方法を」と探っていました。その間に計測の技術が発達して体の水分量や内臓脂肪、推定骨量など体の構成が分かるようになりました。そこで「もう一つ上のものが出せる」として生まれたのが、世界初の体組成計です。重量センサーなどの考え方が生かせる血圧計、どの程度体を動かしたかの消費カロリーを計測する「活動量計」、アルコール度数計などを作っています。
── 常に技術革新を考えるDNAが流れている。
谷田 父が社長だった時代は「世界初を目指そう」という目標を理念に掲げていました。2008年に私が社長に就任してからは掲げていませんが、「面白いものを作ろう」という社風は今でも流れています。
◇レシピ本は542万部
── レシピ本『体脂肪計タニタの社員食堂』は「カロリー控えめながらも食事が楽しめる」と評判を呼び、一世を風靡(ふうび)しました。
谷田 09年に本社の社員食堂がテレビ番組で紹介されたのがきっかけです。売れるとは思っていませんでしたが、10年に1作目を発行し、シリーズ4冊で累計542万部です。30万部で大ヒットといわれる中で、今までとは比較にならないほどブランドが広がりました。
── レストランも展開しています。
谷田 タニタ食堂の屋号を付けているのは10店舗。メニューを出しているものを含めると約30店舗です。
── まさに特需ですね。
谷田 社内ではレシピ本のロイヤルティーの比率を上げようという声もありましたが、変えませんでした。当時は体脂肪計のブームが終わり、売り上げが落ちてきた時期で、改革を進めていました。基盤を作らなければならない時期に一時的な「バブル」で会社が踊らされるのを防ぎたかった。ロイヤルティーを上げて赤字の補填(ほてん)に使っていたら、ダメになっていたかもしれません。その分、出版元は工夫して宣伝してくれたのでうまくいったと思います。
── 今、力を入れていることは。
谷田 個人の体重などをチェックし、これを基に健康指導などを行う「タニタ健康プログラム」を展開しています。企業や自治体などを対象に、機器やデータ、健康指導のノウハウなどを含めた仕組みを買ってもらうビジネスです。具体的には従業員や住民には活動量計を配り、体重や血圧を測る計測スポットなどで個人のデータをオンラインで結びます。データは個人で確認できるほか、指導にも役立てます。
── 企業も行政も医療費の負担に頭を悩ませています。
谷田 父は体組成計や血圧計などで得たデータの活用を先読みして、個人向けの健康データを管理する子会社を作っていましたが、業績は芳しくありませんでした。そこで09年、この会社を活用し、対象を企業や自治体向けに変えて使いやすいものを作ろうと、開発を始めました。本社の社員約200人を対象に歩数計や体組成計などから得た個人の健康データを管理して「見える化」を進めるとともに、データを基に専門スタッフが改善指導などをする仕組みを作りました。
取り組みの結果、適正な体重の社員が約5%増加し、社内での医療費が導入前より1割弱減りました。
── 1割とはすごいです。
谷田 プロジェクトの成功を基に健康プログラムとして改良し、毎年改定を重ねています。約100の企業や自治体で導入されています。
国も健康経営を政策として進めており、厚生労働白書にも、メタボリック症候群の解消事例や、健康寿命延伸の取り組みとして2度取り上げられました。
◇実績持って世界へ
── この先、どんな会社にしたいですか。
谷田 社員食堂のおかげで「健康についてはタニタに相談すればいい」というイメージが広がりました。このイメージを維持しつつ、健康データを活用した医療費の削減をはじめ、日本の社会保障費の適切化、健康を図りたい。そのためにもプログラムを全国に導入してもらえたら、と思います。そして実績を持って世界に攻めていきたいですね。
(構成=米江貴史・編集部)
◇横顔
Q 30代の頃はどんなビジネスマンでしたか
A 米国の販売会社にいました。それまでは正しい理論を盾に仕事をしていましたが、人心掌握が大切だと気づかされました。正しいことばかりを言っていても人は聞いてくれない。コミュニケーションをとり、自分の立場を理解してもらった方が仕事はしやすいと思います。
Q 「私を変えた本」は
A 『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ著)です。家や車などを持つことが大切だと思っていましたが、価値概念が全てなくなりました。
Q 休日の過ごし方
A 会社と自宅の掃除をしています。
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■人物略歴
◇たにだ・せんり
1972年生まれ。大阪府出身。立教高校(埼玉県)、佐賀大学理工学部卒業。船井総合研究所を経て、2001年にタニタ入社。05年米国販売会社のタニタアメリカINC取締役、07年タニタ取締役を経て、08年から現職。45歳。
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事業内容:家庭用・業務用計量器などの製造・販売
本社所在地:東京都板橋区
設立:1944年
資本金:5100万円
従業員数:グループ1200人(2017年3月末)
業績(17年3月期、連結)
売上高:158億円
営業利益:非公表