景気が過熱すれば出口へ向かう決断はありうる。ただ、米欧に合わせなくていいし、景気が悪化すれば、引き返せばよい。
浜田宏一(内閣官房参与、米エール大学名誉教授)
2012年に始まったアベノミクスは、15年の終わりごろから、国際金融市場が時折リスクオフ(回避)、つまり、より安全な資産を求めて円高となる現象が起こり、金融緩和による円安への効果が薄れてきた。米国のトランプ政権の誕生で、その傾向は少し和らいだかに見えたが、米国が貿易戦争を仕掛けるなど複雑だ。いずれにしても、これまでの金融政策の効果は不確実になってきた。
日銀は、2%の物価目標を堅持する考えだが、達成にはまだ距離がある。国民にとっては、物価目標の達成よりも、完全雇用の達成のほうがより重要だ。日本銀行法は「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」と定めており、「雇用の安定」を日銀が直接の目標にできないから、物価目標が雇用、生産の目標を達成するための副次目標としてあるに過ぎないと私は考える。
今の雇用状況を見ると、労働市場の需給がひっ迫して失業率が低下しているのはいい傾向だが、非正規で働く人たちはまだ買いたたかれている。正規雇用の賃金が上昇しないうちに、非正規雇用の賃金が上がり、格差が少なくなるのが望ましい姿だ。インフレが起こらずに、雇用が改善するのがベストであり、そういう意味でも、物価目標にこだわる必要はまったくない。
◇経済過熱なら出口へ
日銀は、日本経済に過熱のサインがあると判断すれば、「出口」の方向に向いてもいい。ただ福井俊彦総裁(当時)時代の日銀が、06年7月にゼロ金利政策の解除に踏み切り、日本経済が再びデフレに戻ったことで厳しい批判を受けた。2期目に入った黒田東彦総裁が量的緩和を停止するのを逡巡(しゅんじゅん)する気持ちはよく理解できるが、日本経済にとってインフレが心配になれば、出口に向かう決断はありうる。その結果、景気が悪化する方向に向かうようであれば、また引き返せばいい。
ただ、出口に向かうための判断について、無理に他国の中央銀行と足並みをそろえる必要はない。初期のアベノミクスの金融政策は、量的緩和によって市場に円が増えて、外国為替市場で円レートが下落し、製造業を中心に企業収益が回復し、雇用環境も大きく改善した。失業率が高かった当時の日本経済の状況を見れば、アベノミクスの金融政策が効果的だったことは疑問の余地はない。米国が最初に、ユーロ圏が次に、そしてそれから日本が出口にというのが妥当な順序であろう。
債券ディーラーが、「金利がゼロでない世界に戻りたい」という気持ちはわかるが、まだ物価が十分に上がらず、早く出口に戻りすぎると、アベノミクス以前に逆戻りする心配がある。アベノミクスの金融政策がもたらした円安は、通貨安競争を招いたとの批判がある。しかし、変動相場制では、景気の良くなった国・地域が金融を引き締める一方で、景気が悪かったり、景気回復が十分でなかったりする国・地域が緩和を続けることは極めて自然であり、たとえ日銀がこのまま金融緩和を続けても、他国の金融政策を縛ることにはならないし、むしろ望ましいことである。他国は、外国からの金融緩和の引き締め効果を、通常は金融緩和によって中和できるからである。
日銀が大量の国債を保有していることによるリスクを懸念する人もいる。確かに、金融緩和の「出口」で金利が上がれば、日銀が保有する国債に多額の含み損が発生し、自己資本を毀損(きそん)するリスクはあるが、それほど心配すべきことではない。国民が豊かかどうかというのは、国民の金融資産や海外に持っている外貨建て資産などで決まるからだ。日銀が損失を出せば、政府がそれを補てんすることになるが、日銀が負債を持とうが、政府が負債を持とうが、その裏側で資産を持つ国民にとってはどちらでも同じであり、日銀と政府を統合したバランスで考えればいい。
一方、マイナス金利政策には副作用が出ている。金融機関が日銀に預ける当座預金の一部にマイナス0・1%の金利を課す政策は、資産を日銀に預ける金融機関への一種の「課税」負担になるので、銀行にとっては利潤を稼ぐのが難しい。特に、経済が衰退しそうな地方に地盤を置く金融機関は厳しい状況に置かれている。人口減少など地方経済の低迷に、マイナス金利の影響が加わり、収益悪化に苦しんでいる中小金融機関は少なくない。規模の拡大を目指して統合・合併しようとしても、市場の寡占を生むとして、簡単には認められない。公正取引委員会が統合・合併に反対するのは金融論に対する無理解を示すものである。出口に向かうか、緩和を継続するかにかかわらず、何らかの対処が必要だろう。
また、初めはデフレが直らないが、金融緩和を続けると、やがて急激なインフレになって、止められなくなるというまったく的外れな理論を、学者の中にも、有力な政治家にも信じている人がいる。坂に大きな岩があって、邪魔だから動かそうとすると、一度転がりだしたら止まらなくなるという「岩石理論」である。英国の経済学者マーシャル以来、「自然は飛躍せず」というのが経済学の伝統だ。これを信じたら、日本経済は再び失われた20年に戻ってしまう。
◇教育の投資効果は高い
16年8月に米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授が発表した論文をきっかけに、「物価水準の財政理論(FTPL=Fiscal Theory of the Price Level)」に多くの学者が強い関心を持ち、私も勉強した。「ゼロ金利の下では金融政策に限界があり、マイナス金利も金融機関のバランスシートを損なうが、財政出動も併せて行えば物価水準に影響を与えられる」という点で示唆に富む考え方だ。
まだ未知数の理論だが、我々の考えを正してくれる。例えば、政府の財政は、ある程度自転車操業になったとしても国民生活の向上に寄与するなら過度に心配することはない。来年も政府が安定していれば、納税者は現れるからである。米共和党の保守派ティーパーティーや、日本の財務省の影響を受けた学者は、健全財政にこだわりすぎる。FTPLの理論は、政府の財政バランスに固執した考え方を打ち崩すには有効だ。
政府は19年10月に予定される消費税率引き上げの増収分の約半分を、将来の日本経済を担う子供たちの教育に充てるとしているが、これには大賛成だ。
ノーベル賞経済学者のジェームズ・ヘックマン米シカゴ大学教授の研究によると、幼児教育への投資効果は5・6%と非常に高く、株式の実質収益率より高い。とりわけ、身障者などのハンディキャップを抱えた子供に重点的に投資すれば、経済格差の解消にも効果が期待できる。公正と効率を両立することができる極めて望ましい政策だ。仁徳天皇の昔話に例えれば、皇居の屋根を直すことより、「市民のかまど」の担い手である人的資本が育っていくほうが必要だ。
日本では、暗記や計算などで優秀な成績を収めた人が官庁や大企業に入ってエリート層を構成している。世界中で、AI(人工知能)による構造変化が起きていて、従来の日本の教育ではAIに淘汰(とうた)されやすい人材しか育たない。これからは、AIをうまく操ることができる能力やビジネスに活用できる構想力を磨く教育が重要になる。
財政を使った教育への投資は、ビジネス界に優秀な人材を送り出し、企業の国際競争力を高め、日本経済の成長を実現できる。人材を教育することのほうが、財政再建を急ぐことより重要だ。
(浜田宏一・内閣官房参与、米エール大学名誉教授)
◇はまだ・こういち
1936年東京都生まれ。58年東京大学法学部卒業、60年同経済学部卒業。東京大学教授、米エール大学教授、内閣府経済社会総合研究所長などを経て現職。著書に『経済成長と国際資本移動』『金融政策と銀行行動』(共著)など。