金融政策は、マクロ経済の観点から物価と失業率の最適点を目指すべきだ。今、出口に向かえば、デフレ脱却が遠のく。
高橋洋一(嘉悦大学教授)
金融政策での出口論が盛んであるが、今の段階で出口に向かうのは時期尚早だ。マクロ経済の観点から見ると、失業率はインフレを加速しない最適点に近い水準だが、インフレ率は最適点までまだ距離がある。超低金利が続くと困る金融機関関係者から出てきている「出口戦略を急げ」という意見は無視し、マクロ経済の観点からだけでデフレ脱却を目指した方がいい。
筆者は、マクロ経済政策、とりわけ金融政策においてNAIRU(ナイル)(インフレを加速しない失業率)が重要だと指摘してきた。
一般的に、インフレ率と失業率は逆相関である。NAIRUを達成する最小のインフレ率をインフレ目標に設定する。失業率がNAIRUに達するほど低くない場合、インフレ率もインフレ目標に達しないので金融緩和、失業率がNAIRUに達すると、今後はインフレ率がインフレ目標よりも高くなれば金融引き締めというのが基本動作である(図1)。
筆者は日本におけるNAIRUを2%台半ばと推計してきた。ちなみに、NAIRUは、日銀が構造失業率と呼んでいるものと同じであるが、日銀は構造失業率を「3%台半ば」としており、間違っていることを指摘しておこう。
NAIRUを達成するインフレ率は、潜在GDP(国内総生産)から分析する。内閣府が四半期ごとに公表しているGDPギャップ、すなわち日本経済全体の総需要と供給力の差を利用する。GDPギャップとインフレ率と失業率の関係をみるのだ。
GDPギャップとインフレ率の関係は、GDPギャップがプラス方向に大きくなるとインフレ率が上昇する、正の相関関係がある。具体的には、GDPギャップがプラス2%程度になると、インフレ率が2%程度になる。一方、GDPギャップと失業率は、逆に負の相関関係である。GDPギャップがプラス方向に大きくなると失業率は低下する。具体的には、GDPギャップがプラス2%程度になると、失業率は2・5%程度になる。これで失業率2・5%程度に対応するのはインフレ率2%程度であり、これがインフレ目標になっているわけだ。
ちなみに、この枠組みは先進国でも同じで、米国、英国ではインフレ目標2%、NAIRU4%程度になっている。
◇インフレは「最適点」に今一歩
こうした基本的な金融政策の枠組みから日本の出口論を述べれば、インフレ率、失業率が同時に、インフレ目標(2%)とNAIRU(2%台半ば)という「最適点」にない限り、出口論は無意味である。今の状況を見ると、失業率は17年度に2・7%とまずまずの水準になってきているが、まだインフレ率は今一歩である。この状況で金融政策を出口に転じると、最適点から遠のいてしまうだろう。
日本ではマクロ経済の基本認識を欠いているのだろうが、インフレ率も失業率も見ないで、ただひたすら出口論を言っている人ばかりであり、情けない限りだ。
そうしたマクロ経済に無理解な人の中には、金融緩和すると、物価は急に上がり出しコントロールできなくなるという、いわゆる「岩石理論」を主張してきた人も少なくない。ひとたびインフレ率が上がり出すと、もう止められなくなる。つまり、岩石が転がり出すと止められないという比喩である。理論というものではなく、あくまで感覚である。
だがマネーがあるからインフレが起こるので、インフレ目標を超えそうになったら、中央銀行のバランスシートを調整して貨幣の供給量を減らすというオペレーションをするだけである。これをいわゆる「出口戦略」とすべきである。もちろん、実際の金融政策では、金利や貨幣の供給量を操作してインフレ率を「微調整」できるほどには精密科学になっていないが、ある幅であれば調整できるものだ。
筆者の気がかりは、これまでの日銀の目標達成「打率」があまりに低すぎることだ(図2)。
2%目標の上下1%におさまる確率は、異次元緩和に踏み切って以降のこの5年間(2013年4月~18年3月)で28%だ。他方、例えば同期間において、FRB(米連邦準備制度理事会)72%、イングランド銀行62%であり、日銀の「打率」は見劣りする。この「低打率」の引き上げが急務だ。
もっとも、その前の5年間(08年4月~13年3月)では、日銀の「打率」は20%であったので、それよりは改善している。なお、その期間はFRB53%、イングランド銀行75%だった。また、同期間(08年4月~13年3月)で、日本のインフレ率は米より2・3%、英より3・5%低かったが、最近5年間(13年4月~18年3月)では、その数字はそれぞれ1・1%、1・1%まで縮まっている。これは、日銀がインフレ目標に転じたためである。
日銀は、2%目標上下1%におさまる確率を先進国で常識とされる70%程度まで引き上げてほしい。その観点から、今の打率をあと40%程度かさ上げしなければいけない。ということは、この先、2%目標の上下1%におさめる状態をあと2年程度は維持しなければならない。それが達成できてはじめて、出口論に意味が出てくるだろう。
◇デフレ脱却すれば、金利は上がる
しかし現在、一部の金融機関関係者からは、出口戦略を急げという意見も出てきている。それは、このまま超低金利が続くと、一部の地方金融機関等では経営上、困ったことが起きてくるからだ。
金融機関の収益構造はシンプルだ。収益は主として資金の運用利回り、費用は資金調達コストと経費(人件費・物件費)である。貸出金利や債券運用金利が運用利回りになり、預金金利が調達コストになる。
全国銀行の17年度中間決算をみると、運用利回りは0・86%、調達コストはマイナス0・04%、経費率は0・8%となっている。収益の指標である総資金利ざやは0・86%-(マイナス0・04%+0・8%)で、わずかに0・1%しかない。
今後を考えると、調達コストと経費率はもう下げられない限界に近づいている一方で、超低金利が継続し運用利回りが低下したら、金融機関の収益はより厳しくなってくる。
しかし、金融機関経営だけを考えて、超低金利政策を放棄するのは、デフレ脱却を遅らせて本末転倒になる。金利動向に応じて金融機関経営を考えるのは、資産負債管理といい、経営のイロハである。
ここは順番が重要だ。超低金利政策を続け、デフレ脱却ということになって物価や賃金が上がり出し、その後に金利が上がり出すのだ。それなのに先に金利を上げたら、そもそもデフレ脱却を遠ざけてしまう。
以上のとおり、出口論は時期尚早、岩石理論は意味不明、金融機関の意見に惑わされずにマクロ経済の観点から金融政策を行うべきだ。
(高橋洋一・嘉悦大学教授)
◇たかはし・よういち
1955年東京都生まれ。東京大学理学部数学科、同大経済学部経済学科卒業。80年大蔵省入省。内閣府参事(経済財政諮問会議特命室)、総務大臣補佐官、内閣参事官(総理補佐官補)などを経て、2008年退官。10年4月から現職。著書に『さらば財務省!』など。