永田町周辺
◇消える「権力の館」
◇角福戦争、小泉vs中曽根の砂防会館
清水孝幸
(東京新聞デスク長)
国道246号から少し入ったところに、青みがかったタイル張りの古いビルがある。ガッ、ガッ、ガー。側壁に工事用の足場が組み上げられ、コンクリートを打ち砕く音が鳴り響く。かつて田中角栄、中曽根康弘ら自民党の大物政治家が個人事務所を構え、「権力の館」と呼ばれた東京・平河町の砂防会館だ。老朽化によって建て替えることになり、今年3月、閉鎖された。
砂防会館の本館は、1957(昭和32)年に完成した。全国治水砂防協会の事務局や会議室のほか、貸事務室などに使ってきた。地上5階、地下2階建てで、御影石の柱、スチールサッシなど、当時の最新の建築技術が取り入れられているが、車寄せは狭く、入り口も自動ドアではない。エレベーターも1基のみで、見た目は何の変哲もない建物がなぜ、権力の館になったのか。
◇角栄と中曽根の極秘会談
本館の完成と同時に、自民党本部が2、3階にテナントとして入居。建設費がかさみ、資金が足りなくなったため、自民党がテナントに入ることで協会の資金繰りを助けた。66(昭和41)年に現在の党本部(永田町)の建物が完成するまで本部を置いた。自民党を取材する記者クラブを「平河クラブ」と呼ぶ。平河クラブの名称は自民党本部が砂防会館にあった名残だ。
党本部が永田町に移転すると、空いた3階に田中角栄が個人事務所と派閥事務所、中曽根康弘が2階に派閥事務所、4階に個人事務所を置いた。特に、田中角栄が権力の階段を上るにつれ、政治家や官僚、財界人、政治記者が集まり、権力の館に変容していった。田中に引き寄せられてか、のちには元首相の宇野宗佑や森喜朗、自民党幹部の青木幹雄や古賀誠らも事務所を構え、今年3月まで二階(俊博、衆院議員)派の派閥事務所もあった。
田中が砂防会館で演じた最大の政治ドラマは、長期政権だった佐藤栄作首相の退陣表明を受けた跡目争いだ。・・・・・
続きは本誌で