◇ルイスの転換点を超え著しい成長低下
河野龍太郎
(BNPパリバ証券チーフエコノミスト)
人口動態の変化は潜在成長率に大きな変化をもたらす。多くの場合、豊かになると出生数が低下するため、人口動態の変化は、労働力の減少を通じ潜在成長率の低下要因となる。
問題はそのことを政府、社会がリアルタイムで認識できないことだ。低成長を一時的と見なし、高成長へ復帰させようと追加財政や金融緩和を繰り返す。その結果、バブルの醸成などマクロ経済を不安定化させる。本稿では、日本と中国を中心に人口動態の変化がもたらす潜在成長率の下方屈折の影響について考察する。
◇潜在成長率低下に気づかず
中国経済は2000年代後半に高度成長の終焉(しゅうえん)が始まり、10%超の潜在成長率が5~7%に下方屈折した。1979年に採用された一人っ子政策の効果が浸透し、四半世紀後に農村部で若者労働の不足が広がった。その結果、都市への労働移動が細り始め、人手不足から賃金が急騰し、高度成長が維持できなくなったのである。賃金高騰を理由に日系企業が生産拠点を中国から東南アジアへシフトさせたのは記憶に新しい。
都市への労働移動が高成長をもたらし、農村の余剰労働の吸収が完了した段階で高成長が終焉する現象は、欧州の産業革命期に広く観測された。生産性の低い農業から都市部で勃興する生産性の高い工業に労働力が移行する過程で高成長が生じるというメカニズムが背景にある。高成長終了の転換点は発見者である英国の経済学者アーサー・ルイス教授にちなんで「ルイスの転換点」と呼ばれる。
ルイスの転換点は、一般に人口の自然動態による変化ではなく、社会動態の変化(=人口移動)と解釈される。ただ、中国の場合、一人っ子政策がもたらした人口の自然動態の変化も大きく影響している。
日本で高度成長が終焉したのは、ルイスの転換点が生じた70年代初頭で、それ以前の10%弱から4%強に潜在成長率が低下した。高度成長の終焉にはさまざまな理由があるが、中国と同様、農村の余剰労働の吸収が完了した時期に当たる。就業のため47~49年生まれの地方出身の団塊世代が都市への移動を完了させたタイミングとも重なるので、日本のルイスの転換点も人口の自然動態の変化が関係している。
潜在成長率が下方屈折すると、それ以前のような高成長は維持不可能となる。原因は総需要不足ではなく、追加財政や金融緩和が足りないからでもないため、成長を高めるには、潜在成長率を引き上げるべく構造改革を推進しなければならない。しかし、現実には、潜在成長率の下方屈折を認識できないため、追加財政や金融緩和に頼ろうとする。
それらの政策で一時的に景気がかさ上げされても、効果が剥落した途端に、低い成長に舞い戻る。それだけでなく、過度な追加財政や金融緩和が過剰ストックや過剰債務を生み、潜在成長率の下方屈折がもたらす過剰問題をさらにこじらせる。
中国の場合、不運なことに00年代後半に中国経済がルイスの転換点を通過した際、リーマン・ショックが訪れた。中国政府の目には低成長の原因が総需要不足と映り、当時、名目GDP比で10%を超える大規模な財政投融資策が実施された。
実施直後こそ高成長が観測されたが、そもそも潜在成長率が低下していたため、政策効果が剥落した11年後半以降、目標とする成長率の達成に苦労するようになる。さらに、大規模な財政投融資策が生み出した過剰債務、過剰ストックが今も中国景気の足を大きく引っ張る。
70年代前半の日本でも、潜在成長率の下方屈折を見過ごしたことがマクロ経済を大きく不安定化させた。当時、列島改造ブームの下で不動産バブルが生じたが、潜在成長率の低下を無視した追加財政や金融緩和が大きく影響したのである。
潜在成長率の下方屈折は、収益性の高い投資機会の減少を意味する。そうした中で、追加財政や金融緩和を行うと、生み出されたマネーは主に株や不動産に流れ込む。近年、中国でも不動産バブルが頻発するのは、潜在成長率が低下しているからに他ならない………
(『週刊エコノミスト』2016年10月4日特大号<9月26日発売>32~33ページより転載)
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