◇米国のインフレ、景気後退リスク
城田修司・HSBC証券マクロ経済戦略部長
トランプ次期大統領は選挙期間中に「米国を再び偉大に」と訴え、今後10年で米国の実質経済成長率を4%に高める目標を掲げている。経済協力開発機構(OECD)は米国の潜在成長率を1・6%(2016年)と推計しており、これを倍以上に高める野心的なものだ。
その手段として挙げているのが、17年1月の就任後から100日間で断行する経済政策(トランプノミクス)である。(1)連邦法人税率を35%から15%に引き下げる企業税制改革、(2)企業の海外資金を国内に還流させるための10%の軽減税率(従来は15%)、(3)中間層の大幅な所得税減税(35%)、(4)10年間で1兆ドル(約110兆円)に上るインフラ投資などが盛り込まれている。
◆トランプ米次期大統領の就任100日行動計画
◇就任初日に実行
- NAFTAの再交渉もしくは脱退を表明
- TPPからの撤退を表明
- 中国を為替操作国に認定するよう指示
- 不公平貿易の洗い出しを指示
- シェールオイルや天然ガスなどエネルギー規制の緩和
◇就任100日で立法措置
- 連邦法人税率を35%→15%に引き下げ
- 10%の特別税率で多国籍企業の海外資金を還流
- 中間層世帯に35%の減税
- 民間の投資減税拡大、今後10年で1兆ドルのインフラ投資
- オバマケアの撤廃、新たな仕組みの導入
(出所)筆者作成
大型減税や財政支出の拡大は、短期的にはGDP(国内総生産)成長率を押し上げるだろう。例えば、トランプ氏は選挙期間中に「10年間で10兆ドルの巨額減税を行う」と公言していた。これを基に家計と企業に年間1兆ドルの減税が行われ、限界消費・投資性向が50%と仮定すると、名目GDPを2・8%押し上げる。
◇利上げ前倒しも
また、年間1000億ドルの投資が行われれば、名目GDPを0・6%押し上げる計算だ。物価上昇分を加味すると、大型減税とインフラ投資だけで実質GDP成長率は2%程度かさ上げされるだろう。「潜在成長率1・6%+2%≒3・6%」で、目指す4%成長にかなり近づく。
ただ、トランプノミクスによる所得の再配分は製造業など「オールド・エコノミー」に偏りそうだ。経済成長の要因は「労働」「資本」「全要素生産性」に分解されるが、トランプノミクスの政策効果が顕在化するのは恐らく「資本」に限定されよう。移民排斥は「労働」の寄与度を落とす。そうなると潜在成長率は高まらず、好況は短命に終わる公算がある。米ピーターソン国際経済研究所が指摘するように、米国自身の保護主義を起点として国際貿易が縮小するなどの供給ショック(大幅な供給制約)もあって、米国は1、2年後には景気後退に陥るリスクがある。
通常、大型の財政拡張策が効果を発揮するのは景気後退時である。現在の米国は完全雇用に近く、経済全体の需給ギャップはほぼ解消していると考えられる。こうした状況下で積極財政により有効需要を無用に創出すれば、インフレが起きやすい。
選挙期間中、トランプ氏は18年2月に任期切れを迎えるFRB(米連邦準備制度理事会)のイエレン議長を再任しないと明言した。イエレン議長には自身の任期中にインフレの芽を摘むため利上げを前倒しで行うインセンティブが働くかもしれず、結果的に拙速な引き締めが、景気後退を引き起こす恐れもある。
トランプ氏は保護貿易主義を標榜(ひょうぼう)している。選挙期間中には「中国とメキシコからの輸入品にそれぞれ45%、35%の報復関税を課す」と表明し、日本の自動車には38%の関税(現在は2・5%)をかける可能性も示唆した。「就任100日行動計画」では、大統領就任当日にNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉、もしくは脱退とTPP(環太平洋パートナーシップ協定)からの撤退を表明するとしている。通商政策に関する大統領権限は大きく、貿易協定からの脱退や一部輸入品の関税引き上げは議会の承認がなくても可能である。
トランプ氏の主張が議会で多少修正されるにせよ、米国が保護主義に傾斜するのは避けられないだろう。
◇通貨安競争の再燃
米国の保護主義的アプローチは中国やメキシコにとどまらず、他国にも広がる恐れがある。米国への輸出比率(対GDP比)をみると、メキシコ(27・0%)やカナダ(20・2%)が圧倒的に高い。トランプ氏はメキシコからの輸入品に35%の関税をかけると主張しており、同国は最も打撃を受けそうだ。米国が保護主義に傾けば、その動きは世界各地で加速する可能性があり、世界貿易全体が縮小するほか通貨安競争が再燃するリスクもある。
また、米国の金融市場に目を転じると、トランプ勝利を受けて株価が急騰、ダウ平均株価は過去最高値を更新した。ただ、ここまでの「トランプ相場」はトランプノミクスのプラス面(減税や財政出動による景気刺激、金融規制の緩和など)だけに注目した期待先行のユーフォリア(根拠なき熱狂)の感が強い。トランプ氏の政策が内包する中長期的なリスク(保護主義による貿易停滞、移民排斥による地政学リスクの上昇、財政不安やインフレなど)が意識されれば、過剰な期待は剥落しよう。もともと割高感が強まっているだけに、株式相場は調整局面を迎える。
株価急騰を受けて債券市場では長期金利が急上昇、10年国債利回りは節目の2%を超えた。
一般的に、長期金利は以下の要因に分解される。(1)期待インフレ率、(2)期待実質短期金利、(3)タームプレミアム(期間に伴う上乗せ金利)の三つだ。大統領選でトランプ氏が勝利してから、拡張財政によるインフレ上昇を織り込む形で(1)期待インフレ率が上昇。(2)期待実質短期金利についても、FRBの利上げペースが速まるとの見方が広がり上昇している。
さらに、株高が進んだことで債券市場では投資家による極端なイールド・ハンティング(世界的に利回りの高い債券投資の過熱)の動きが抑えられ、(3)タームプレミアム(期間に伴う上乗せ金利)が上昇した。
なお、米シンクタンクの「税政策センター」は、トランプ氏の税制提案が効力を発した場合には、年間の赤字予算はGDP比で現状(15年度でマイナス2・4%)の2倍に膨らむと推計している。財政悪化懸念は「悪い金利上昇」の要因となりそうだ。株式市場を起点に始まったトランプ相場が修正されれば、上述の3要因が主導する形で長期金利は低下余地を探る可能性がある。
大統領選後、為替市場では円安・ドル高が進んだ。一方、トランプ氏は米製造業の復活を目指しているうえ、日本と中国は通貨安を誘導していると主張してきた。今後はドル高修正を求める発言をしてくるのではないだろうか。
◇「優雅なる無視」
クリントン政権のルービン財務長官(当時)は「強いドルは米国の国益」と主張、為替市場では円安・ドル高が進んだ。強いドル政策の実情は、米国の急増する経常赤字を海外から資金を引き寄せてファイナンス(資金調達)する手段であった。ブッシュ政権のポールソン財務長官(同)も強いドル政策を踏襲したが、円高・ドル安を容認した。金融危機の下で景気後退が起こったうえ、経常赤字も縮小していたからである。
強いドル政策を唱えるもドル下落を静観するスタンスは「ビナイン・ネグレクト」と呼ばれた。「優雅なる無視」などと訳され、米当局が為替変動を静観し続けたことを指す。
トランプ政権も米製造業の競争力を浮揚させるため、ビナイン・ネグレクトのようなドル安容認スタンスをとると思われる。現在、経常赤字はおおむね安定しているため、あえて強いドル政策を掲げて海外から投資マネーを呼び込む必要はない。
(城田修司・HSBC証券マクロ経済戦略部長)
掲載号:2016年12月13日号