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経営者:編集長インタビュー 江尻義久 ハニーズホールディングス社長

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◇「価値あるものを安く」日中両国で婦人服店展開

 

 Interviewer 金山隆一(本誌編集長)

 

── どんな会社ですか。

江尻 カジュアル着からお出かけ着まで婦人服を10~50代の幅広い層を対象に展開しています。製造から小売りまで一貫して手がける「製造小売り(SPA)」と呼ぶ手法を用いていますので、トレンドを素早く捉え、顧客のニーズにタイムリーに応えることができる点が強みです。

 

── 3月1日に持ち株会社制に移行しました。

江尻 国内市場の縮小が見込まれ、価格競争が激しくなるなど将来の不確実性が高まっています。また当社の事業分野も広がりました。

 そこで、持ち株会社の傘下にそれぞれの事業に特化した子会社を置くことで、各子会社が担当事業に専念できるようにしました。グループ全体の経営効率化が狙いです。

 

── 足元の販売状況は。

江尻 衣服に対する消費者の優先順位が下がり、アパレル業界全体が苦戦しています。その逆風の下でも、当社は16年4月から17年2月まで11カ月連続で顧客数が増えました。

 ネットを通じた販売も好調です。すでに展開するアマゾンのほか、スタートトゥデイが運営するファッション通販サイト「ゾゾタウン」でも3月から展開を始めました。ただ、ネット通販の売り上げの伸びは大きいものの、当社の売上高全体の2~3%にすぎません。業界では一般的に、ネット通販の割合は7%程度と言われますので、まだまだです。

 

 ハニーズの2017年第2四半期(16年6~11月)の売上高は前年同期比7・6%減の269億6200万円だった一方、当期純利益は同15・4%増の4億円だった。

 

── 1978年に前身の有限会社エジリを設立したきっかけは。

江尻 もともと家業の帽子専門店がいずれ立ち行かなくなると考え、より需要の見込める婦人服を手がけることに決めました。

 当初は80年代に全盛だった「DCブランド」の一つ、「ハニーハウス」のフランチャイズチェーン店として、仙台市などいわき市外に展開先を広げていきました。おしゃれと評判でしたが少々値段が高かったため、思うように売れない時期もありました。品ぞろえを徐々に広げるなどした結果、販売も軌道に乗り、92年には設立時に掲げた「設立15年後に100店舗」を達成しました。

 

── 順調ですね。

江尻 ところが翌93年にバブル崩壊の影響に襲われました。個人消費が伸び悩み、当社の売れ行きも落ちました。そこで展開先を広げ、商品価格を下げると同時に、従来の駅前中心から郊外店に重点を移しました。93~2000年の7年で当時130店のうち主に駅前店など110店を閉店する一方、郊外を中心に120店を開店したほどです。

 

── 商品価格をどう引き下げたのですか。

江尻 98年に一大ブームになった1900円で買えるユニクロのフリースを見て、生産体制を中国にシフトすることに決めました。本格的に生産を始めたのは01年からです。

 中国は生産だけでなく、市場の大きさも魅力です。そこで06年に上海に1号店をオープンしました。

 ただ、中国店はいまだに収益モデルを確立できていません。足元では日本と同様、郊外型店舗への移行期にあります。加えて、不動産価格が高騰し、店舗運営コストが高どまりしています。今17年5月期は50店を出店すると同時に、不採算店舗を70店撤退する予定です。中国の直営店舗は16年11月末時点で461店です。様子見の状態です。

 生産面でも、人件費が当初の2倍超の1人当たり月額7万円に上がりました。中国から日本への輸入には関税も10%上乗せされます。そこで東南アジア諸国連合(ASEAN)の比重を徐々に高めています。

 

 ◇進出決断の日

 

── ASEANの生産体制は。

江尻 ミャンマーで12年に現地子会社を設立し、工場を稼働しました。すでに二つの工場を運営し、計約4000人が勤務しています。生産量は年600万着に上りますが、日本の販売量の2割程度にすぎません。

 ASEANではこのほか、バングラデシュやベトナム、インドネシアなど現地企業への委託生産も行っており、生産量が当社全体の生産量の3分の2を占めるまでになりました。

 

── ミャンマーの民政移管は11年3月でしたから、早い段階での進出ですね。

江尻 実は、ミャンマーの工業団地側と工場設置の調印を交わした翌日の11年3月11日に東日本大震災が起きました。現地側からも社内からも進出の見送りムードが高まりましたが、進出に必要な2億5000万円の送金をすぐに決めました。震災によって当社の物流機能も止まり、生活物資が不足するなど、大変でした。しかし、ミャンマー進出は5年、10年の長期的な視点に立って決めたこと。実行するべきだと決断しました。

 

── 決断は正しかったですか。

江尻 生産体制の構築には時間がかかりましたが、現在は1着当たりの平均販売価格が日本国内で生地の生産や縫製を行っていた80年代当時の約4900円から、約1400円まで下がりました。にもかかわらず、当時に比べ顧客数が増えましたので、粗利率は58%に上ります。当社は「価値あるものを安く」がモットーです。強さを再び取り戻すための準備がようやく整ったと思っています。

(構成=池田正史・編集部)

 

 ◇横顔

 

Q 30代の頃はどんなビジネスマンでしたか

A 20代に遊んだ分、30代は一心不乱に仕事をしました。休んだのは元日だけ、ということもあるほど仕事一筋でした。

 

Q 「私を変えた本」は

A 『商業経営の精神と技術』をはじめ、流通専門誌『商業界』が主催する故・渥美俊一先生の勉強会で読んだ本が今でも血肉になっています。「利益は顧客のためにある」という言葉が印象に残っています。

 

Q 休日の過ごし方

A 土曜日はゴルフ、日曜日は囲碁をして過ごします。ゴルフはシングルで、囲碁は5段です。

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 ■人物略歴

 ◇えじり・よしひさ

 1946年生まれ。福島県出身。福島県立磐城高校卒業。69年早稲田大学卒業後、家業のエジリ帽子店入社。78年に有限会社エジリ(現・ハニーズホールディングス)を設立し、専務に就任。86年のハニーズへの社名変更と同時に現職。70歳。

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事業内容:衣料・服飾雑貨事業

本社所在地:福島県いわき市

設立:1978年6月1日

資本金:35億6600万円

従業員数:連結7103人(2016年11月末現在)

業績(16年5月期・連結)

 売上高:582億2500万円

 営業利益:28億2100万円


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