岩村充・早稲田大学大学院経営管理研究科教授
緩和の“出口”は日銀が想定するシナリオに沿ったものとは限らない。海外要因などから金利が上昇した場合には、物価に想定外の下押し圧力がかかるリスクがある。無理にインフレを引き起こすことには私は反対だが、出口で起こることをコントロールするという観点からは、そこで物価を下支えするための手段を準備しておいた方がよい。そのために、たとえ悪魔の手段だと言われようと、ヘリコプターマネーについて、もっと具体的に考えるべきだ。
私が3月に公表した「停止条件付変動金利永久国債の日銀引受について」というプランはその一つだ。中身は、要するにヘリコプターマネーなのだが、ばらまいたマネーをサルベージ、つまり回収することが可能な仕組みとして考えようというのが提案の要点だ。
◇「停止条件付変動金利永久国債の日銀引受」プラン
(A)政府は、市場金利連動型の変動金利永久国債を日銀引き受けにより発行する。
(B)利払いは、日銀が保有している期間中は行われない。
(C)日銀は政府と協議することなく、保有する変動金利永久国債を市場に売却することができる。
(D)政府は日銀が保有する変動金利永久国債をいつでも額面価格で償還することができる。
(E)政府は、既に発行済みの固定金利国債を、保有者の同意を条件として、当該国債の時価を額面とした変動金利永久国債に転換することができる。
(出所)早稲田大学イノベーション・ファイナンス国際研究所および株式会社ナウキャストのホームページ
ヘリコプターマネーと言えば、米コロンビア大のスティグリッツ教授が2003年に提案した政府紙幣の発行や、英FSA(金融サービス機構)前長官のアデア・ターナー氏による日銀保有国債の一部を永久無利子債務化するという提案が頭に浮かぶ。
また、一般にはヘリコプターマネー政策とは分類されていないようだが、米プリンストン大のクリストファー・シムズ教授による「インフレ目標に達するまでは増税を行わないと政府が宣言する」という提案も、広義のヘリコプターマネー政策という側面がある。それは、シムズ教授が提案の根拠としているFTPL(物価水準の財政理論)からみても明らかだ。
◇期待の暴走への懸念
FTPLとは、国の財政の先行きを人々がどうみるかによって、現在から将来にかけての物価水準が上下するという理論だ。政府と中央銀行を仮想的に連結した統合政府を仮想し、統合政府における名目支払い義務の大きさと、支払いに充当できる財源の実質値との関係から、物価水準の制約条件を導き出す。
図の式をみればわかるように、スティグリッツ教授やターナー前長官の提案は、分子の支払い義務を制度変更で増やすことで物価水準への上方圧力を生じさせようとするものであるのに対し、シムズ教授の提案は、分母の支払い財源を財政スタンスに関する「宣言」によって小さくさせることで、物価水準への上方圧力を生じさせようというものだと整理できる。要するに、「ゲームのルールの事後変更」で状況を動かそうとする政策だ。だから、「ヘリコプターマネー」というレッテルを貼るかどうかは別として、政策アイデアとしては似たようなものと言える。
一般論としては「ゲームのルールの事後変更」は良くない。それは、制度全体への信頼を傷つけることで、取り返しのつかない信認崩壊を招く危険があるからだ。スティグリッツ教授にせよターナー前長官にせよ、あるいはシムズ教授にせよ、これだけの国際的著名人の提案に私たちが危険な誘惑でないかという直感を抱くのは健全な傾向だと思う。ヘリコプターマネー政策が過度に「信用」されたら、歯止めなき期待の暴走が始まるという懸念は軽視すべきでない。
期待の暴走という観点からは、スティグリッツ教授やターナー前長官の「正統的ヘリコプターマネー」より、シムズ教授の「変化球型ヘリコプターマネー」の方が怖い。FTPL式の分子である名目支払い義務は契約の結果、つまり事実なのに対し、分母の支払い財源の実質値は期待、つまり人々の心そのものである。事実は別の事実によってしか変わらないが、期待は当局者の宣言くらいでは変わらない一方、思いもよらぬ人々の心の揺らぎによって一気に動いてしまうかもしれない。
慶応義塾大学の池尾和人教授は「ベースマネー(現金と準備預金)の増加が一時的だとみなされればヘリコプターマネー政策が成立しないのとは反対に、現在のベースマネーの膨張が恒久的なものだと信じられるようになると、現行の政策はヘリコプターマネー政策に転じることになる」(『日本経済新聞』16年6月8日付朝刊)と指摘している。その通りである。
現在の異次元緩和の延長線であろうとなかろうと、供給されたベースマネーが恒久的に回収できなくなるという期待が当局者の意図を超えて拡散すれば、現に存在するベースマネーの相当部分は制御できないヘリコプターマネーへと転化してしまう。
では、そうしたリスクを小さくする方策はないのだろうか。今回の提案の狙いは、それが可能なことを示そうというところにある。
◇柔軟に撤退できるヘリマネ
今回提案したプランでは、日銀が新たに発行される国債を引き受けるとしたうえで、その国債の利払いに停止条件を付け、それを日銀は保有している間は利払いが行われないとし、かつ期限を定めない永久債とした。無利子の永久国債とは、資産価値的には政府紙幣と変わらない。そうした国債を日銀が引き受け、それによって得た資金を政府が財政支出に充てれば、それは政府紙幣の発行が行われたのと同じことになる。だから、このプランの本質は、スティグリッツ教授が提唱したのと同じ政府紙幣発行政策なのだ。
シムズ教授の提案は、FTPLの物価水準の均衡式の分母つまり支払い財源に対する人々の期待に介入するものだが、スティグリッツ教授による政府紙幣の発行やこのプランにおける無利子永久国債の日銀引き受けは、分子である統合政府の債務(ベースマネーと、市中保有国債の名目現在価値との計)に新たに債務をいきなり追加するものだ。
その方が、より確実に効果をコントロールできることは自明だろう。現在、ベースマネーと市中保有国債の計は1000兆円程度なので、20兆円の停止条件付き変動金利永久国債を発行すれば、物価水準に約2%の上方圧力が生じる。こうした事前計算が可能なことが、シムズ教授型のFTPL政策より優れた点である。
では、今回の提案のどこがスティグリッツ教授の案と違うのだろうか。それは、この永久国債を日銀が市中に売却したときには、利払いの停止条件に当てはまらなくなり利払いが始まる、つまり最初から政府が変動金利付きの永久国債を市場レートで発行していたのと同じ状態に戻ってしまうところにある。たとえて言えば「サルベージ可能なヘリコプターマネー」を設計したいと考えたわけである。
断っておくと、ばらまいたヘリコプターマネーのサルベージは、政府紙幣発行の場合でも論理的には可能である。銀行券に混じって日銀の金庫に戻ってきた政府紙幣を、財務省が新規国債の市中発行で得た資金で償還してしまえば、それでサルベージになるからだ。だが、そのやり方だと、金融政策の守備範囲を超えた財政政策、つまり予算措置に制約される政府の行動によってしか事態の収拾ができなくなる。金融政策の守備範囲で処理可能な方が、より機動的で柔軟な政策運営が可能になるのではないだろうか。
◇なぜ変動金利か
今回の提案では、日銀が保有している間は無利子だった国債を金利付き永久国債として売却できるようにするという図を描いてみた。しかし、ヘリコプターマネーのサルベージを容易にするというだけなら、実は売却後の国債に付される金利は固定金利でもよいし、永久債である必要もない。あえて売却後の永久国債の金利を変動型と想定したのは、膨大な量の固定金利国債が市中、あるいは日銀に保有されている状態が作り出す金融システムの不安定を軽減する一方、そうした膨大な国債の借り換えリスクが“出口”の後の国債管理政策の足かせになるのを防ぐためである。
名目GDP(国内総生産)が500兆円ばかりの日本で、1000兆円を超える国債が発行され、ほとんどが日銀を含む金融機関に保有され、そして、その半分が日銀に保有されている。そうした危険な現実から私たちは目を背けるべきではない。出口で金利が上昇すれば、日銀と民間金融機関に大きな打撃をもたらす。
提案の中に、「政府は、既に発行済みの固定金利国債を、保有者の同意を条件として、当該国債の時価を額面とした変動金利永久国債に転換することができる」という項を付け加えたのは、それが理由である。日銀も民間金融機関も、保有国債が変動利付きであれば、その売却損や評価損を気にすることなく行動できるようになる。
今の日銀は、購入した大量の国債を、償却原価法でバランスシートに計上しているが、これでは、額面で満期償還されるまで保有しますと宣言しているに近い。異次元緩和が“出口”に至って保有国債を売却しベースマネーの回収を始めれば、巨額の損失を抱え込むという自らのリスクに手を打っていないからだ。
満期償還を待つしか手段がないとなれば、日銀はベースマネーの回収には動けないだろうと人々にみなされかねず、その場合、異次元緩和で大量に供給済みのベースマネーが、いきなり制御不能なヘリコプターマネーに転じてしまうリスクがある。そうならないためには、いつでも売りオペに踏み切れるような準備があることを示しておくべきだ。
変動利付きへの転換オプションは民間金融機関にとっても重要だ。保有する資産が変動利付きであれば、彼らの経営健全性は金融政策の動向に振り回されなくなる。それは、金融機関に多額の資金を預けている国民にとって大きな安心であると同時に、金融政策の自由度確保のためにも不可欠の条件なのである。
◇成長なき時代のオペ
高度成長期からバブル崩壊期に至るまで、日本の金融政策は、市中からの国債買い入れ、つまり買いオペを中心に運営されてきた。長期国債の売りオペは、買い戻し条件付きの売却以外には行っていなかった。また、世界経済が大きな成長のシナリオにある下では、それは自然な選択だったと言える。長期債買いオペは、かつては「成長通貨オペ」とも呼ばれ、経済成長に伴って新たに必要となるベースマネーを供給する趣旨のものだったからである。日銀が経済成長の方向性を大きく読み違えさえしなければ、売りオペでマネーを回収しなければならない事態は起こりようもなかったのだ。
だが、黒田東彦日銀総裁が始めた異次元緩和は「成長通貨オペ」ではない。名目GDPが500兆円の日本で、その中央銀行が年々50兆円あるいは80兆円ものベースマネーを供給するのなら、“出口”に至ったときにはばらまいたマネーを元に戻すための方策、つまり売りオペの準備とセットで開始されるべきものであったはずである。
売りオペの準備とは何か。それは、言うまでもなく日銀保有国債の変動金利化である。それを考えることの必要性を問うのが、ここで議論を提起した狙いの一つでもある。
今回の提案については、そもそも国債を日銀が引き受ける以上は、財政法5条に基づく国会の議決が必要となるのではないかという質問を受けることがある。議決は当然に必要だ。しかし、かつての財政法の立法者たちが、異次元緩和という名の下で成長通貨を大きく超える通貨供給に踏み切る中央銀行の姿を想定していたら、日銀の買いオペ、つまり市中国債の買い入れについても上限額について国会の議決を要する、などと定めていたのではないだろうか。
成長が当然の時代に築かれた財政と金融との関係は、成長が当然でなくなった時代には、いずれ見
直さなければならないはずだ。
(岩村充・早稲田大学大学院経営管理研究科教授)
*『週刊エコノミスト』2017年5月16日号掲載