── 国鉄民営化から30年がたちました。
青柳 本州の3社と比べ、JR九州は鉄道事業が赤字の会社だったため、いかに効率よく運営し、鉄道に乗っていただくか、どういうふうに利用していただくかが課題でした。一番需要が高かった福岡─熊本間という本来ならドル箱路線が当時は高速道路に負けていた。鉄道事業本来のあるべき姿に戻らないといけない、というのが30年前のスタートでした。
── どんな取り組みを進めてきましたか。
青柳 国鉄時代の延長線上で鉄道事業に取り組めば即つぶれてしまう。乗っていただくための戦略、そしてリピーターになってもらうサービスは何かを常に考えてきました。その一つが車両のデザインです。
── 大人が見てもかっこいいと思う車両が多いです。
青柳 工業デザイナーの水戸岡鋭治さんに最初にデザインしてもらったのが1988年、福岡県内を走る香椎線のアクアエクスプレスのデザインでした。
走っている写真を見てお子さんが乗ってみたいと思うきっかけになるデザイン、かっこいいから乗ったら「便利でサービスもいい」と思ってもらう。それが我々の原点で、今も忘れていません。
── 水戸岡氏との出会いは大きかった。
青柳 92年に運輸部に着任する前年、水戸岡さんが「鉄道大航海時代」という大論文を書かれ、初代社長の石井幸孝に見せました。彼は動くホテルをイメージした車両を考案し、「これからは鉄道の大航海時代が始まる」と言っていました。これを受け水戸岡さんに頼んだのが92年に運行を始めた特急つばめでした。
時速130キロの在来線高速化や列車本数の頻度アップなどの改革は理性に訴える戦略、乗り心地やデザインは感性に訴える戦略という認識で進めてきました。
アクアエクスプレスは、大きな前面窓や、海が見えやすいように座席を窓に向けて配置、つばめはホテルのような空間を車内に持ち込むなど、従来の鉄道車両にない斬新なデザインが話題を呼び、ここ数年巻き起こっている観光列車ブームに先鞭(せんべん)をつけた。
── 水戸岡氏がデザインした周遊型の豪華寝台列車「ななつ星in九州」も人気です。
青柳 2013年10月から運行を始めました。週2回の運行で1回の運行は最大30人、3泊4日で1人67万5000円からと決して安くないですが、18年2月までの運行分の応募倍率は平均16倍です。
熊本地震と九州北部豪雨、台風の影響で、長崎と鹿児島を往復するルートに限定していましたが、地元の方々が地場の産品を差し入れてくれたり、民間芸能を催してくれたり、家族のような地元の方々のおもてなしのおかげで、ななつ星の価値は下がりませんでした。17年12月に日豊本線が運転再開し、大分や宮崎を通るルートで運行しています。
◇意識した投資家目線
── 不動産と流通にも力を入れています。
青柳 民営化スタート時、1万5000人の社員のうち、鉄道事業だけなら1万2000人で列車を動かせる。残る3000人分の食い扶持(ぶち)をどうするかが課題でした。なんでもやろうと取り組んだのが不動産です。
最初は熊本県の美咲野で2000戸の大団地を開発しましたが失敗し、減損もしました。そこで我々の強みである「街中で機能の高いものを提供しよう」とぶれずにやってきたのがいまの成功につながりました。15、16年には九州最大戸数の分譲マンションを発売し、現在も毎年500~600戸を売り出しています。
── ファクトシート(決算の補足資料)には最初にEBITDA(税引き前・償却前・利払い前営業利益)が出てきます。
青柳 投資家向けに何を伝えるべきか勉強しました。EBITDAで見ると鉄道で4割、残り6割は駅ビル(流通)と不動産、建設で稼いでいます。鉄道を基盤に不動産と流通が一緒になって伸びていく、という気持ちがあった方がいい。それが九州の元気の源になる事業ならチャンスを生かしてやっていきたい、という考えです。
── 16年10月の東証1部上場から1年がたちました。
青柳 18年度が最終の中期経営計画で、経営安定基金も固定資産税の減免措置もなくなり、完全な民営会社になります。
鉄道を運行する仕事は上場しても変わりませんが、意識は生まれ変わる方向にシフトしないといけない。外部の人と話して「会社は変わった」と思われるよう新しいステージを目指そう、と社員には訴えていきます。
── 今後力を入れていく開発は。
青柳 21年春に熊本駅ビルを開業する予定で、長崎本線連続立体交差事業に伴い、長崎の駅ビルも再開発していきます。
福岡市内では、天神の大名小学校跡地の開発に名乗りを上げ、青果市場跡やウオーターフロント構想も視野に入れています。
── 海外展開は。
青柳 5年前に中国の上海にレストランをオープンし、現在は4店で営業。タイにも17年に事務所を開き、日本の駐在員向けのサービス・アパートメントの運営を行いたい。
Interviewer 金山隆一・本誌編集長
◇横顔
Q 30代の頃はどんなビジネスマンでしたか
A 前半は科学技術庁(現・文部科学省)の日本原子力研究所に出向。民営化前の4カ月はJR準備室、JR九州となってからは総合企画本部で在来線の時速130キロ化、その後、鉄道の仕事すべての基幹業務システム化、九州各地の列車運行を一元管理する総合指令化──の三つに取り組みました。
Q 「私を変えた本」は
A 司馬遼太郎『竜馬がゆく』など。本の虫ではないですが、何でも読みます。
Q 休日の過ごし方
A 家でぼうっとしています。
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■人物略歴
◇あおやぎ・としひこ
1953年生まれ。福岡県出身。ラ・サール高校(鹿児島県)、東京大学工学部卒業。1977年国鉄入社、87年国鉄民営化に伴い、JR九州総合企画本部経営管理室副長、2005年取締役鹿児島支社長、12年専務取締役を経て、14年から現職。64歳。
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事業内容:運輸、建設、不動産、流通・外食
本社所在地:福岡市博多区
設立:1987年
資本金:160億円
従業員数:1万6922人(2017年3月末現在、連結)
業績(17年3月期、連結)
売上高:3829億円
営業利益:587億円