◇よしかわ・あきひろ
1980年茨城県生まれ。東電学園卒。99年東京電力福島第1原子力発電所に配属、2008年福島第2原発へ転勤し被災。12年6月に東電を退職し、一般社団法人AFWを設立し、代表に就任。
次の世代のために責任をもって託せる環境をつくりたい。
かけがえのない「ふるさと」と「人生」を二度と失わないために。
東日本大震災による津波が福島第1原子力発電所を襲った当時、私は東京電力の社員として福島第2原子力発電所で勤務していました。事故から丸7年が経過しようとしている今でも、死への恐怖感や、避難が始まった町の状況に心を奪われながら働いていたことを鮮明に覚えています。今でこそ、事故を防げなかった会社に対する責任追及の矛先が、現場で働く人たちに向けられることはほとんど見聞きすることがありません。しかし、事故が起きてしばらくの間は、身分を明らかにすることが家族にまで影響する状況があり、当たり前に社会に身の置きどころがありませんでした。
そうした状況は、当時は過酷極まる環境で働く人たちを事故収束現場から遠ざける(辞めさせてしまう)ことにつながり、ひいては現場力の低下を招き、より事故収束を遅れさせ、震災・原子力事故からの復興を妨げる悪循環を生み出していました。何より私個人が辛かったことは、発電所で働く人たちの多くは、長年地元で暮らしてきたからこそ、原子力事故による被害を受けた人たちだったことです。
この状況をなんとか改善できないだろうか。そう考え、私は2012年6月に東京電力を退職。地域で暮らし、事故収束に当たった一人の人間の声を広く社会に伝えることを通じ、働く人たちの作業環境の改善を訴えるとともに、事故収束を支えていくという面で正当なる評価を社会にしてほしいと活動を始めました。当初は個人で活動していましたが、徐々に仲間が増え、13年には任意団体「Appreciate FUKUSHIMA Workers(AFW)」を立ち上げ、原発作業員の方々へ支援物資を送る活動を始めました。
全国からのさまざまな支援もあり、また当事者の環境改善への取り組みが進んだことで、過酷なる作業現場は少しずつ改善していきました。一方、放射性物質による汚染により二度と戻ることができないと思われた地域は、徐々に避難指示が解除されていき、事故の起きた福島第1原発を傍らに置きつつ、人々が暮らす場所としての復興・再興が進められてきました。
そうした中、私たちの活動の重点は作業員の方々向けの支援から、原発事故を乗り越えて原子力事故の被害地域である旧避難区域や、現在も残る避難区域を次の世代に残すための取り組みへとシフトしていきました。任意団体は15年11月に一般社団法人化し、名を当時の思いを忘れないために頭文字を一つずつ取り、一般社団法人AFWとして現在に至っています。
現在の活動の中心は、東電の社員だった知識を活かし、第1原発の廃炉状況を社会や地域に分かりやすく伝える取り組みと手法の開発や、被災した福島県沿岸部の浜通り地区で長年暮らしてきた人間としての経験(生活者・避難生活者目線)を活かし、この地を訪れる人たちを案内する地域ガイドです。対話を通じ社会課題を解決していくにあたって、最難関地域と言える場所で、サイエンスコミュニケーション・リスクコミュニケーションの在り方とそれをもった解決方法を模索し、国、東京電力といった組織に提言しています。福島第1原発と地域住民の方、また福島県沿岸部の浜通りと、そこを訪れる人たちをつなぐ橋渡し役です。
17年3月31日に一部避難解除となった浪江町から見える福島第1原子力発電所
18年2月7日筆者撮影
◇課題を共有し解決の糸口に
こうした取り組みを行う背景には、原発事故がもたらした課題の解決には、原発関係者と地域住民、また、浜通り地区に住む人たちとその他の地域に住む人たちが、互いに対話できる環境をつくることが重要だという考えがあります。
一例として、福島第1原発の廃炉を進めていく際、増え続ける汚染水をどう処分するかといった課題があります。原子炉内の溶け落ちた核燃料(デブリ)の冷却に使われる水は、高濃度の汚染水を浄化したものです。デブリの冷却水は、冷やす→汚れる→浄化する→冷やすといった循環冷却が行われています。その過程の中で、事故当時の水素爆発の影響により、原子炉建屋地下に地下水が染みこむ状況が現在も続いています。さまざまな対策で染みこむ量は減少したものの、毎日染みこみ、汚染された水を浄化し、蓄え続けた結果、処理済み水は80万トンを超え、処理待ち分も含めると総量は100万トンを超える状況です。
処理済み水はトリチウム(三重水素)と呼ばれる放射性物質以外は、ほぼ取り除けてはいます。希釈して海に捨てる方法もある。そんな議論が原発側で行われています。しかし、暮らしの当事者目線で見たらどうでしょう。専門家とされる人たちが科学的には問題がないと言っても、原子力そのものを知ることもない、分からない人にとっては、事故後それは忌避感も相まって深刻な状況の中にあります。福島第1原発は事故により、社会とより悪い意味でつながりは深まり、負の象徴として捉えられ福島県への風評被害の源として扱われ続けています。
現在は蓄え続けてからの先は決められない状態が続いています。解決は誰もが積極的に関与したくないものとなっています。これは福島第1原発の廃炉を片付けと取った時、逃れられない放射線を出すゴミをどうするのか?といった問題で、社会と現場双方にとって、現時点で最良とされる選択ができない状況が続いていることを表しています。それによって事故の当事者でもない未来の世代が問題を引き継いでしまうと誰もが知っているにもかかわらずです。
こうした課題の解決策をいったい、誰がどう判断したらよいのか。現在は国や東京電力など、解決の当事者である原子力関係者が判断していますが、私は、地域住民との対話を通じて判断していくことが重要だと考えています。
処理済み水を環境に放出した際の影響といった専門的なことは専門家に絶対の自信を持って明らかにしていただきたいです。しかし放出先の環境とは、私たちの暮らす地域そのものですから、それならば、専門家の判断がそこで暮らす人たちの目にどう映るのかを専門家の人たちにも知ってもらうことも重要だと考えるわけです。それには原発関係者の人たちと地域住民の人たちが、お互いの課題を共有し、解決につなげていくことが望ましいのではないかと思っています。
こうした考えのもと、AFWでは東京電力、国、地域住民との間を取り持ち、廃炉がどのように進んでいるのかを共有しながら、双方の思いを聞き合う活動にも取り組んでいます。
対話には、お互いを知る環境が必要です。それには原発事故によって失われた「信頼関係」の構築が必要なことは自明です。さらに信頼関係の構築には「事故への清算」も必要になります、清算とは、人々の安寧な暮らしが日常として回復し、永続的に保障される状態・仕組みが構築されることと思います。
しかし、そうした状況は待っているだけでは訪れることはないでしょう。よりよい未来のためには、歩み寄り、対話できる環境づくりをしていくことが必要です。そうした環境づくりの重要性を社会全体で認識し、そうした環境を永続的な仕組みとして構築していくことが事故から7年が過ぎようとしている今、急ぐことが必要だと考えています。
福島第1原発に関わる課題に限らず、社会には解決が求められるさまざまな課題があります。しかし、解決に当たり当事者だけで議論し、判断することが多いのではないでしょうか。私は、対立構造ではなく対話を通じて解決することが、いかなる課題解決にも通じると思っています。そして、それをこの場所で実現できたなら、震災・原子力事故の教訓を、社会に光をもたらすものに転じることができると信じています。
(吉川彰浩・AFW代表)