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第30回 福島後の未来をつくる:宮野廣 法政大学大学院デザイン工学研究科客員教授 2016年3月29日特大号

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 ◇みやの・ひろし

1948年石川県生まれ。慶応義塾大学工学部卒。東芝に入社し、原子力事業部原子炉システム設計部長、原子力技師長、東芝エンジニアリング取締役などを経て現職。日本原子力学会福島第1原子力発電所廃炉検討委員会委員長などを務める。

 ◇責任範囲が不明確な原子力規制委

 ◇求められる評価対象と体制の拡充

 

 福島第1原発事故を受けて設置された原子力規制委員会は2014年2月、原発の安全性を確保するための新規制基準を定めた。新基準では地震や津波のほか、竜巻や火山の噴火、森林火災といった災害への対応を強化。非常事態に備え、電源や冷却装置など可搬式機器の設置も新たに義務づけた。

 だが、その新基準も踏み込み不足だ。重要なのは、個々の自然災害に対してどう対処するかではなく、発電システムとしての機能をいかに保つかだ。同時に、「想定外」の事象にどう備えるかも重要になる。継続してフォローしていく必要がある。


 ◇深層防護の捉え方

 

 想定を超えた事態に対応するうえで重要なのが「深層防護」という考え方だ。

 深層防護は、もともと国際原子力機関(IAEA)が導入したもので、本来、考え方の異なる幾層もの対策を講じることで、原発の安全性をより確実にすることを目指す。

 日本でもこの考え方が導入されたはずなのに、「多重防護」と呼ぶ誤った形で受け止められてきた。これは、燃料ペレットをはじめ、燃料シース管(保護効果のある巻き管)や圧力容器、格納容器、原子炉建屋のいわゆる「五重壁」によって、放射性物質の放出を防ぐことができるというものだ。

 つまり、ハード面の備えだけで放射性物質の放出を防ぐ考え方である。想定外の事態が生じたときに、これら全てのハードが一挙に壊滅してしまえば、その機能は失われる。福島事故でその弱点が露呈した。

 これに対し、深層防護の考え方は、一定の基準を満たした設備や機器などのハードを準備することに加え、想定を超える事態が生じた場合にも、可搬式の非常用電源や冷却設備を使うなどの対策で安全を確保。さらに放射性物質が放出するような事態に陥っても、被害を最小限にとどめるための「防災」を講じるものである。設計、運用、防災という異なる複数の考え方に基づいて安全性をより確実に確保する方策だ。

 それでも、事故は起き得る。その可能性を「リスク」と呼ぶ。リスクとは、多面的な視点から総合的に、事故に陥る可能性を評価したり、それぞれの視点で見た場合に事故の起き得る大きさ、重大さを評価したりする指標である。このリスク評価に基づいて、設計、運用、防災での対策を講じることで、よりバランスの取れた対策を実行できる。

 ただ、リスク評価に基づき常に改善を進めていく考え方は国内の原発においてはなかなか浸透してこなかった。その一因として、例えば原発について規制委が電力会社に義務づけている検査費用が無料である点が挙げられる。米国の検査は電力会社から検査費用を徴収するかわりに、改善措置を施せば費用が安くなったり手続きが減ったりする。そのため改善に向けたインセンティブが働く。これに対し、日本の検査は改善してもしなくても無料だから、リスクを減らすインセンティブが働きにくい。

 住民の安全を確保するための規制を整備したいのであれば、こうした

深層防護の考え方に基づき、設計から運用、防災までをトータルで評価する体制を整備するべきだ。

 また、現状ではリスク評価を行ったとしても評価結果が設備に反映されにくい事情がある。設計が決まった後に評価する仕組みであるためだ。そのため、評価結果に基づいてリスクを低減し、安全性を高めるための仕組みが必要だ。

 規制委の審査も、当然、設備や機器だけの安全性を評価して終わり、ということであってはならない。いくら厳しい規制基準を作っても、想定外のことが起きる可能性を常に考えておかなければならない。

 その意味で、住民や電力会社、学界など外部との意思疎通の機会をもっと増やすべきだ。規制委は、福島事故後に規制当局と電力業界のなれ合いや癒着が指摘された反省から、設置にあたって独立性を高めることが重視された。その結果、お手本とされた米国の原子力規制委員会(NRC)とは大きく異なる姿になってしまった。

 米NRCは、基本原則に「公衆および許認可取得者(電力会社)などのNRCの利害関係者の利益を適切に調和させつつ、安全を確保することに重点を置く」と定められ、活動にあたって住民や事業者間の調整が重視されている。これに対し、日本の規制委のそれには、住民の意見を聞いたり、事業者との意思疎通を図ったりすることについてまったく触れられていない。

 独立性を確保することは外部の干渉を受けないということであって、独善的な姿勢に陥ることとはまったく違う。

 さらに、より根本的な課題として、原発の安全確保の責任が一義的に電力会社にあるとされていることが挙げられる。現場をあずかる電力会社が安全確保に努めるのは当然だとしても、事業者に許認可を与えていながら、政府に責任がないというのは疑問だ。

 規制委も、安全を確保するための規制基準を制定し、その合否を判断する審査を行っているにもかかわらず、その審査に合格した原発は必ずしも安全だとは言えないと言う。どれだけの責任を取るのか、責任範囲が明確ではなく、責任逃れの姿勢とも言える。

 原発の安全性を確保する責任は、それぞれの役割、事業の流れの中での位置づけに従い、分担されるものである。

 従って、安全確保に関する一義的な責任は原発を運用する立場の電力会社にあることでよいとしても、それを設計・建設するプラントメーカーを含め、産業界全体で責任を持つと規定されるべきである。規制の確立や政策を推進する立場にある国ももちろん、事業者に対する許認可権限や監督責任を有するのだから、原発の安全確保についての責任が明確に位置づけられるべきだ。

 

 ◇差し止め訴訟は二重基準

 

 関西電力の高浜原発3、4号機の運転差し止めを求める仮処分申し立てで、大津地方裁判所は3月9日、原発から70㌔㍍以内に住む滋賀県の住民の主張を認める決定を出した。これら全国各地で相次ぐ原発の運転差し止めを求める仮処分申請や訴訟は、責任の所在を考えるうえで重要な意味を持つ。裁判所が原発の安全性を判断する形になっているためだ。

 規制委は、個別の原発について規制基準を満たしているかどうかを判断しており、原発の稼働を許可する立場にある。このとき、裁判所が規制委の頭越しに原発の安全性を判断してよいものかどうか疑問だ。

 原発の安全性について、規制委と裁判所のダブルスタンダード(二重基準)が生じてしまうということであり、国にとってはあってはならない事態である。裁判所がもし原発の安全性を判断するのなら、個別の原発ごとではなく、規制委や規制基準そのものが妥当かどうか評価すべきである。

 高浜原発3、4号機のように、すでに稼働している原発(4号機は事故で停止中)の運転を止めるようなケースであればなおさらだ。運転停止によって生じる損失を誰が負担すべきか重大な問題が生じる。

 裁判所の判断が正しいのだとすれば、運転を許可した国の判断が間違っていたということになり、国の賠償責任は免れない。一方で、裁判所の判断が誤っているのだとすれば、裁判所に賠償責任が生じるのではないか。国民として極めて重要な関心事である。(了)


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