金融緩和による緩やかなインフラは実現していない。ただ経済理論に基づくと、長期的には数年間で年数十%の物価高騰が起こり得る。
斉藤 誠(一橋大学大学院経済学研究科教授)
現在の金融政策を評価する難しさは、遠い将来の到着点がなかなか見えにくいところなのかもしれない。その裏返しとしては、現在のゼロ近傍の金利が未来永劫(えいごう)続くと何ら根拠もなく楽観してしまうことであろう。
しかし、よくよく考えてみると、そうした楽観的な長期予測は、経済学とつじつまが合わない。長期的な経済の姿などそもそも経済理論で分かるはずがないといわれてしまいそうであるが、こと貨幣現象については、10年単位、半世紀単位の予測は案外に理屈通りなのである。
物価が貨幣供給に比例して決まるという貨幣数量説は、長い目で見るとおおむね正しい。ここで貨幣数量説が成立していると、実質GDP(国内総生産、Yとする)で測ったマクロ経済活動を考慮すれば、物価水準(P)は貨幣供給量(M)に比例する。その結果、名目GDP(PYで表される)に対する貨幣供給量の比率、しばしばマーシャルのkと呼ばれている指標は安定して推移することになる。
図は、日本銀行が独占的に銀行券を発行するようになった1885年以降について、名目GDPに対する日銀券の流通残高の比率を描いている。日銀券が本格的に流通した1890年以降、日中戦争がはじまる1937年までの戦前期は、マーシャルのkが10%前後で安定していた。一方、1952年の主権回復から95年までの期間、マーシャルのkは7%から8%の間で推移してきた。
◇終戦直後に物価が高騰した理由
しかし、戦中から終戦直後と1990年代半ば以降は、貨幣数量説が成り立っていたとはいいがたい。たとえば、終戦直後にマーシャルのkは急低下した。1945年から51年は、日銀券残高が9倍に拡大したが、貨幣単位で測った日本経済規模(名目GDP)は50倍弱まで膨張し、マーシャルのkは50%弱から10%弱に低下した。マーシャルのkの急低下は、典型的な物価高騰現象を伴っていた。
それでは、終戦直後の物価高騰が、しばしばいわれるハイパーインフレであったのであろうか。ハイパーインフレは、月50%以上、年130倍以上のインフレを指す。ところが、1945年から51年の小売り物価は100倍、年率でせいぜい2倍強にすぎなかった。
マーシャルのkは、戦前の水準に回帰したといった方が妥当であろう。1937年から51年の期間については、日銀券残高が220倍拡大し、名目GDPは230倍増加したので、両者は同程度のスピードで拡大してきた。
岩村充早稲田大学大学院教授の指摘によると、切手代は戦前と1951年を比べると300倍強の値上がりで、貨幣残高の拡大規模に見合っていた。円相場は、1941年に1ドル=4円強が49年に1ドル=360円と90分の1に切り下げられたが、切り下げ度合いは物価高騰の範囲に収まっていた。終戦直後の物価高騰にもかかわらず、円の通貨単位そのものを切り下げるデノミネーションを行わずにすんだのも、長い目で見れば物価高騰が日銀券の拡大ペースの範囲であったからである。
◇3年間、年40%弱の物価上昇も
次に、1995年以降に視点を移してみよう。短期金利が0%近傍に引き下げられるにしたがって、名目経済規模に比して日銀券流通残高が相対的に拡大していった。戦後、7%から8%で推移してきたマーシャルのkは、2017年には20%弱まで上昇している。
それでは、遠い将来はどうなるのであろうか。非常に自然な予測は、マーシャルのkが8%程度に低下し、日銀券流通残高の拡大テンポに合わせて物価が上昇する長期的な姿に回帰することであろう。
たとえば、物価上昇率と実質成長率がともに2%であるとすると、日銀券の拡大テンポは4%になる。その場合、短期金利は、2%のインフレ率に若干上乗せした水準、たとえば、3%程度になる。
問題は、現在の状況、すなわち、「物価が安定し、短期金利がゼロ近傍でマーシャルのkが20%弱」という状況Aと、将来に予想される状況、すなわち、「インフレ率2%、短期金利3%、マーシャルのkが8%」という状況Bがどのように結び付けられるのかである。
ここでも経済理論に忠実になってみよう。終着点が状況Bになることが明らかな場合、物価や為替のように柔軟に変化できる経済変数は終着点に向かって速やかに調整される。先に見てきたように、終戦直後の6年間に50%近くまであったマーシャルのkが戦前の10%弱の水準に回帰して、その間、日本経済は物価高騰に見舞われた。
おそらくは、状況Aから状況Bへの移行も漸次的なものではなく、物価水準の急激な修正となるであろう。他の変数を一定としてマーシャルのkが20%から8%に低下するためには、物価水準が2・5倍にジャンプしなければならない。そうした急激な水準修正が、たとえば3年間で起きるとすると、日本経済は年40%弱の物価上昇に見舞われる。
こうした議論をすると、「日本経済がハイパーインフレに陥るはずなどない」と反論されるのが常である。しかし、この程度の物価高騰は、ハイパーインフレに比べればはるかに穏やかで、むしろ長期的な姿(状況B)への回帰現象と解釈した方が自然なのである。
◇タイミングと期間は予測困難
もちろん、経済理論も万能ではない。物価水準の急激な修正が、いつ(今年なのか、10年先なのか)、どのぐらいの期間(1年間なのか5年間なのか)で起きるのかについて、経済理論で予測することは難しい。しかし、そうした物価調整が起き得ること、そして、その程度は、年100倍以上というようなハイパーインフレに比べればずいぶんと穏やかなことを経済理論は教えてくれるのである。
それにもかかわらず、そうした程度の物価高騰をハイパーインフレと十把ひとからげにして「ハイパーインフレなど起こらない」とその可能性を排除してしまえば、私たちは急激な物価調整への備えを失ってしまう。終戦直後の経験を踏まえれば、その程度の物価高騰でも経済社会はひどく混乱するのである。
2011年3月11日の大津波に襲われた福島第1原発の事故状況は、冷却水喪失事故や臨界事故に比べれば過酷ではなく、「相応に過酷な事故」に対応するマニュアル(徴候ベース手順書)も備わっていた。それにもかかわらず、現場も、東電本店も、規制当局も、初動から「もっとも過酷な事故」という認識でもって事故対応を誤ってしまった。
「数年間に年数十%の物価高騰」という可能性は、「ハイパーインフレなど起こらない」として排除するのではなく、私たちの社会が合理的な予測の範囲で考慮しておくべき事態なのである。仮にそうした状況に襲われたとしても、「厳しい状況ではあるが、長期均衡への回帰である」という認識があれば、事態に冷静に対処できるであろう。逆に、そうした認識が不在であれば、福島第1原発の事故対応のように、「想定外」の事態として、起きている状況に比して過度に悲観的に対応してしまうかもしれない。
◇さいとう・まこと
1960年愛知県生まれ。83年京都大学経済学部卒業、88年マサチューセッツ工科大学経済学部博士課程入学、92年同大博士号(経済学)。84年住友信託銀行調査部、92年ブリティッシュ・コロンビア大学経済学部助教授などを経て2001年より現職。著書に『資産価格とマクロ経済』『震災復興の政治経済学』『危機の領域』(4月公刊)など。