政府税制調査会(政府税調)会長、一橋大学長を歴任した石弘光さんが8月25日、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。81歳だった。
財政学の専門家として、2000年から06年まで政府税調会長を務めるなど日本の財政改革に関わった。バブル崩壊を経て財政赤字が悪化する中、歳出削減による「増税なき財政再建」を批判し、財政再建のためには増税が不可避と説いた。
05年には政府税調会長として所得税の給与所得控除、配偶者控除などの廃止や縮小を提言。「給与所得者、サラリーマンに頑張ってもらうしかない」という石さんの発言が「サラリーマン増税」と世論の猛反発を買い、政治問題化したが、自説を曲げることはなかった。
税調に財務省主税局総務課長として関わった古谷一之・内閣官房副長官補は「石先生が首尾一貫して財政再建を主張する姿は、我々の精神的支柱だった」と故人を偲ぶ。
また、石会長時代に、政府税調のメンバーだった奥野正寛・東京大学名誉教授は「財政再建に伴う所得税改革の議論では張り詰めた雰囲気もあったが、爽やかで朗らかな石さんの人柄にずいぶん助けられた」と振り返る。
06年、第1次安倍政権は石会長再任を推す財務省の人事案を却下。後任に法人税減税による経済成長を優先した本間正明・大阪大学教授(当時)を据えた。専門家が中期的な税制のあり方について議論を戦わせる場として機能してきた政府税調はこの後、政権に物申す機関としての存在感が薄まり、変節を遂げることになる。
門下生に親しまれた
石さんは12年11月、本誌に寄稿した論文で、日本が財政再建に成功しない最大の理由は「増税をはじめ国民に嫌がられる政策手段を、歴代の内閣が責任を持って実行しようとしないから」と政治家を鋭く批判。
また「増税を拒みそれを継続できるとする環境に、政治家も国民もすっかり慣れ親しんでしまった」と国民にも財政再建への覚悟を迫った。財政再建を先送りすることの将来世代への負担付け回しを案じた。
学生に対しても厳しい半面、温かい指導で接した。一橋大の石ゼミは蓼沼宏一・一橋大学長、油井雄二・成城学園学園長はじめ多くの研究者を輩出した。佐藤主光・一橋大国際・公共政策大学院教授は「時間や締め切りには厳しかったが、研究のテーマや進め方では学生の主体性を尊重してくれた」と懐かしむ。
産業界で活躍する門下生も多い。「極めて率直で、怒るときには怒る。でも真心がこもった温かい厳しさで、石先生のゼミでよかったと振り返る人が多い」(松井道夫・松井証券社長)、「『ただ乗りはダメ、受益者負担』『ゼミの勉強を言い訳にクラブをさぼるな』との教えが心に残っている」(河田正也・日清紡ホールディングス社長)。OB会を通じて卒業生と親交を続けた。
研究者として初めて出版した『財政構造の安定効果』(1976年)で第17回エコノミスト賞を受賞。後に07年度から09年度まで同賞選考委員長を務めた。
選考委員でプライベートでも親交があった井堀利宏・政策研究大学院大学特別教授は00年代前半、政府税調の視察で一緒に欧州を訪問した際、集合時間に遅れた財務省の職員に石さんが「『集合時間の10分前には来ているもんだ』と、懇々と説教する姿が忘れられない」と話す。
八百屋で買い物したとき、「お客さん、消費税分まけとくよ」と言われ、「いや俺は払う」と断ったという石さん。
16年に末期がんを公表した後も、べらんめえ調の江戸っ子気質は変わらず、政権批判をためらわなかった。
(編集部)