◇ますだ・じゅん
1950年島根県生まれ。73年司法試験合格、74年京都大学法学部卒。同年農林水産省に入省。77年東京地裁判事補、最高裁判所事務総局総務局付、福岡地裁判事、東京地裁判事、法務省参事官、東京高裁判事を経て97年退官。2004年に現職。
◇仮処分は科学技術の判断に不向き
升田純
(中央大学法科大学院教授・弁護士)
原子力発電所の稼働を差し止める仮処分が裁判所から相次ぎ出され、司法と原発の関係に対する関心が高まっている。
この1年の間になされた決定を次に挙げよう。
(1)高浜原発3、4号機の運転差し止めを認めた福井地裁の決定(2015年4月14日)
(2)その異議審で仮処分を取り消し同原発の再稼働を認めた福井地裁の決定(15年12月24日)
(3)高浜原発3、4号機の運転差し止めを認めた大津地裁の決定(16年3月9日)
(4)大飯原発3、4号機の運転差し止めを求める申し立てを却下した福井地裁の決定(15年12月24日)
(5)川内原発1、2号機の運転差し止めを求める申し立てを却下した鹿児島地裁の決定(15年4月22日)
(6)その抗告審でさらに申し立てを棄却した福岡高裁宮崎支部の決定(16年4月6日)
短期間のうちに、それぞれ内容の大きく異なる決定が出されている。
司法と原発の関係を考える上で踏まえてほしいのは、これら裁判はいずれも民事保全法上の「仮処分」であるということだ。民事訴訟法上の「訴訟」ではない。
日本の裁判制度では、法律問題は最終的に訴訟によって解決されることとされている。これに対し、仮処分は「簡易で、暫定的な」裁判にすぎないとの位置づけだ。
つまり、現在、原発裁判で注目されている仮処分は、あくまで「仮の地位を定めるための処分」である。例えば訴訟によって勝訴判決が確定するまでに、申立人に著しい損害を与えたり、差し迫った危険が及んだりするなど、特に必要性がある場合に限って認められるものだ。
仮処分は、制度面でも、訴訟のように厳格な証明が求められていない。裁判に用いられる証拠もすぐに取り調べが可能なものに限られる。仮処分のこうした制約は、申立人に有利に働く傾向がある。最近の原発裁判では申立人である周辺住民が、この点を有効に活用しようとしたものと推測される。
特に原発は、高度な科学技術を使って築き上げた大規模で複雑なシステムだ。しかも、法令に基づく各種基準や多くの専門家による審査などに従って設置、稼働が認められている。その稼働を差し止めるということは、電力会社や政治、行政機関だけでなく、社会生活や経済活動に重大な影響を及ぼすこととなる。
にもかかわらず、大きな制約のある仮処分によって原発の稼働差し止めを認めること自体、問題があると言わざるを得ない。仮処分には、本来、証拠が限定され、厳格な証明が求められていないぶん、より慎重で謙抑的な審理や判断が求められるべきである。
◇ずさんな判断
原発の稼働差し止めをめぐっては、11年の東日本大震災以前から、原発周辺の住民が原告となって国や電力会社などを被告とした訴訟などが多数提起されてきた。
しかし、最近の原発裁判は、従来とは様相が異なる。福島第1原発事故や、原子力規制委員会をはじめとした原子力行政の刷新、原子炉等規制法など法令の改正、新規制基準の策定など、背景となる事情が変わっているためだ。最近は、政治や行政などの面から、原発の廃止や稼働差し止めの求めがいれられないことを理由に、裁判を利用してこうした目的を達成しようとする傾向がある。
しかし、そもそも裁判には、議論の対象や手続き、判断者や判断の範囲・内容・基準など、多くの面で特有の制約がある点に注意が必要だ。その中で高度で複雑、大規模なシステムである原発を、科学技術に関する高度な知識や判断能力のない裁判官が適切・的確に審理・判断しなければならないのだ。
医療や建築、製品・設備事故といった科学技術に焦点を当てた訴訟の場合、通常、各分野の専門家が鑑定人や証人を務めたり、論文や著作などその作成文書が証拠として提出されたりする。
裁判官は、鑑定人の意見を基に判断することが多い。民事訴訟法の改正によって設けられた専門委員制度の利用が始まりつつあるが、まだ医療など一部に限られるし、利用範囲に大きな制約がある。
筆者の見聞する限り、裁判では、信頼できる専門家に鑑定人や証人を依頼できる分野は極めて限られている。専門家と称する証人も、専門性に疑問のある場合もある。科学的知見を軽視したり、科学的に矛盾したりする判決も見かけたことがある。
先に挙げた六つの原発裁判のうち、特に、(1)の高浜原発3、4号機の運転差し止めを認めた福井地裁の決定と、(3)の高浜原発3、4号機の運転差し止めを認めた大津地裁の決定は、その際たるものだ。何ら合理的な説明もなく、新規制基準などの法令に基づいてなされた行政上の判断を「不合理」だとした上で、裁判官自ら、科学技術に関する高度な基準を設定し、仮処分を判断している。
決定文の論理構成も不十分だ。特に裁判所の判断について書かれた記述箇所は、(1)が27ページ、(3)が13ページにすぎず、この程度の分量で原発の稼働を差し止める判断を下したことは驚くばかりである。(2)は148ページ、(5)は118ページ、(6)は220ページに上り、分量だけでなく決定内容や論理構成などを比較しても、原発裁判として想定される水準に達していない。
原発裁判のように、高度な科学技術が争点になっている場合、適格な専門家の意見に耳を傾け、慎重に判断する必要がある。しかし、裁判官によっては専門家の意見を十分に聴取しなかったり、自らの見解を専門家の見解に代置したり、さらには自身の仮説を提示したりする事例まで見受けられる。
制度的に仮処分の利用が制限されていない以上、今後も同様の問題が生じることだろう。
裁判官は、裁判にあたって、その「良心」に従い、「独立」して職務を遂行することが憲法に規定されている。裁判官を拘束するのは、憲法と法律だけである。この規定を逆手に取って、自身の主観的な良心をことさら強調したり、法律も最高裁の判例も自身の都合に従って解釈したりする例もある。
裁判官という人間が裁く以上、「裁判の独立」の誤用や乱用とも言える現状もあるのだ。
裁判に求められるさまざまな重要な要請を無視したり、軽視したりする判決、決定がなされる可能性は常にある。裁判官の考え方や偏見、能力、知識などその人自身の持つ属性は、裁判の論理や内容、結論にも実は大きな影響を与える。
図らずも、今回の原発裁判では、こうした裁判における実情や裁判官の属性によって左右される判断の違いがあらわになった。科学技術に関する高度な知識、判断能力のない裁判官の判断によって、高度な、あるいは最先端の科学技術の発展、実用化が阻害され、停滞する恐れが常にあることを心にとめておかなければいけない。
◇適用範囲の再考を
近年は特に、政治や行政、社会などの分野で深刻な意見対立が生じると、その決着を裁判に求める傾向がある。原発裁判はその一例だ。
そこで、信頼の置ける専門家を裁判に活用できるような審理の方法・体制を整備するとともに、特に高度で先端的な科学技術などについて争われる案件については、場合によっては仮処分の適用外とするなど、裁判や審理の範囲を限定する法制度の整備も必要だろう。
科学技術は日進月歩で発展している。司法も裁判の本来の役割とあり方を踏まえ、いかに賢明な判断を下せるかが問われている。
(了)