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【三菱に喝! Part1 不正の深層】三菱と国益 2016年6月14日号

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10年間トップに君臨した相川賢太郎氏
10年間トップに君臨した相川賢太郎氏

◇「三菱は国家なり」の神話は崩壊

◇国家意識強烈な企業集団も今は昔

 

永岡文庸

(法政大学教授、元日本経済新聞記者)

 

「GMは国家なり」

 1952年、米国アイゼンハワー政権の国防長官に任命されたゼネラル・モーターズ(GM)のチャールズ・ウィルソン社長の米国議会での証言だ。「国には有益だが、GMには不利益なことも決断できるか」と質問され、「米国にとっていいことはGMにとっていいことだ。その逆も真なり」と答えたのが語源だ。

 ◇国との蜜月は30年前まで

 

 第二次世界大戦中は、自動車の量産技術を航空機など兵器生産にシフト、戦後も6割の全米シェアを握り米国経済の屋台骨を支えているとの傲慢さとも受け止められた。現在なら「アップルは国家(米国)なり」だろう。

 しかしiPhoneのロック解除をめぐる米連邦捜査局(FBI)との攻防をみると、現代の大企業は、国益(安全保障)より消費者益、つまり企業益が優先。経営戦略では、国益は死語になっている。

 翻って「三菱は国家なり」は、戦後の日本産業界に流布した強力な神話だ。

 「三菱グループは造船、電機など製造業の比重が高い。三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)に資金需要を聞いて、日本銀行が金融政策を決めた。うちから日銀総裁も出た(宇佐美洵第21代日銀総裁)。戦後の復興期の今は昔の話だ」

 三菱銀行の頭取経験者から聞いた話だが、これも30年前だ。当時はスリーダイヤのブランドや三菱パワーが全盛期だったからこそ昔話ではなく、国との蜜月は持続していた。

 その神話のルーツは三菱中興の祖と言われる岩崎小弥太(4代目社長)の「事業の究極の目的は国のためにする」という訓話だ。三菱は国に尽くすという「所期奉公」を社是3綱領の中心として運営、大正時代から30年にわたり三菱を最強の企業集団に育て上げた。

 その小弥太が戦争協力のとがめで、連合国軍総司令部(GHQ)から財閥解体命令を受け反論した言葉が、戦後バラバラになった三菱各社の経営者の精神的な支えとなる。

「国策に従い、日本国民なら行う当然の義務を果たしただけ。恥ずべきものは何もない」

 国益に従う三菱の代表が、三菱重工業だ。90年代の改革開放時、中国要人に「中国が最も買収したい企業」と言わしめた日本の製造業の中核企業だ。造船、原動機、航空・防衛からさまざまな産業機械を抱え、日本の国家プロジェクトには真っ先に声がかかり中心的な役割を果たす。特に防衛産業では、国策は重工の利益と一心同体だった。

 この構図が吹き飛んだのが、80年代末の次期支援戦闘機(FSX=現F2戦闘機)国産化の挫折だ。米国戦闘機のライセンス生産から、官民が協力して自主開発して「日の丸戦闘機」を作る。自動車、電機に次ぐ主力産業として、先端技術の塊である航空・宇宙産業の飛躍を狙うという遠大な国家戦略だった。

 重工は、日本の国家戦略の要の企業。重工にとっても先細る造船や重電に代わる輸出のドル箱と位置付けており、死活問題だった。

 

 ◇「虎の尾を踏んだ」

 

 日米による4年間の「マラソン交渉」の結果は、日本の屈辱的な敗北に終わる。ライセンス契約はそのままで日米共同生産(米で機体の4割を生産)、日米共同開発と言いながら、日本が開発した技術は米国に公開する一方で、戦闘機を動かす鍵となるソースコードは、日本には公開されなかった。

 時の飯田庸太郎社長は、「重工はお上には逆らわない。米国にもね」と敗軍の将、兵を語らずで、沈黙を守り通した。

 敗因は「虎の尾を踏んだ」の一言だ。当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の絶頂期で、日米自動車摩擦、日米半導体協定、87年に起きた東芝機械の対共産圏輸出調整委員会(COCOM=ココム)違反事件(のちに冤罪(えんざい)と判明)など、宿敵ソ連の核(軍事力)より日本の経済力が脅威との世論調査が新聞の一面に出た。

「ロケットの技術も盗んで、次は航空機か。誰が日本のシーレーンを守っているのか。第7艦隊だろう」と、電話取材に応じた米国防省の幹部の怒りに満ちた声が、いまだに耳に残っている。

 戦前に世界トップ級の戦闘機「零戦」や戦艦「武蔵」を生み出した重工の野心、財閥解体されながらGNP(国民総生産)の10%を占めるまでに復活した三菱グループ、米国に最後に残された比較優位の航空・宇宙産業への日本の侵攻とみた。

 あれから25年が経過し、日本のパワーは落ちた。それでも安全保障や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)など通商政策に至るまで、米国が日本に「虎の尾を踏ませない」という強圧的な構図は変わらない。

 その間に変わったのは重工だ。「お上のいうことに逆らわない」優等生ではなくなる。

 外交敗戦で、切り替えが早かった。戦闘機の自主開発を放棄する代わりに、ボーイングから組み立ての仕事を受ける。通商産業省(現経済産業省)主導の次期民間機の共同開発から離脱してカナダのボンバルディアと提携、民間旅客機の共同開発、生産に乗り出す。ヘリコプター事故をめぐって防衛庁と異例の訴訟合戦すら展開した。

「普通の企業」にした西岡喬氏
「普通の企業」にした西岡喬氏

 ◇国に依存しない経営に転換

 

 事業化目前の国産ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)も、自らリスクを負う単独事業だ。エンジンは米国のプラット・アンド・ホイットニー製を使用するなど国内より欧米企業との連携が特色である。

 重工で航空機畑を歩み、社長を務めた西岡喬氏はFSX敗戦の教訓を語る。

 「経営は自己責任。米国は自由な国だが、一方で国益も重視する。国策を看板にした競争だけでなく協調も大事。気づくのが遅かったけどね」

 ソニー、ホンダなどの戦後派企業なら当たり前ともいえる「国に依存しない経営」への変身だった。

 重工の社長、会長を10年間(89~99年)務め、三菱金曜会の世話人だった相川賢太郎氏は国と企業の関わりについて明確だ。

「中近東のプラント商戦で、米国や欧州勢は大使や武器輸出をからめる官民一体の受注活動を展開する。我々が現地の大使に支援を求めても、私企業のためには動かないと全く無視。官民癒着は欧米の話だ」

 金曜会での相川氏の得意の持ちネタは、小弥太の「饅頭屋までやるな」の訓話だった。新事業はいいが、三菱たるもの中小零細業者の分野にまで手を出すなというものだ。国に対し、ゆるいけん制の意味もあった。

 金曜会が三菱グループの司令塔を果たしているという説は「他社の経営には介入せずが基本」と否定する。その後の金融危機、株式持ち合い解消で三菱の結束力というもう一つの神話も消えた。

 2001年の金曜会で創業以来の三菱グループの社是が変更された。3綱領は残したが、理念を変えたのだ。所期奉公は「事業活動の究極の目的は社会への貢献だ」と、国から社会へ切り替わる。「日本だけでなく地球環境を保護する」と解説する。現実の企業活動を追認した、普通の社訓だ。

 強烈な国家意識をもつ企業集団から、名実ともに決別してから久しい。

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この記事の掲載号

定価:620円(税込)

発売日:2016年6月6日

週刊エコノミスト 2016年6月14日号

 

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