◇イランとの取引再開
◇米政府が欧州銀に要請
会川晴之
(毎日新聞北米総局長)
ケリー米国務長官は4月と5月の2回、欧州系金融機関にイランとの金融取引を再開するよう異例の要請をした。イランと長年、敵対関係にあった米国が、あたかもイラン“応援団”のような振る舞いを続けるのは奇妙に見える。
ケリー長官は5月12日、ロンドンで開かれたドイツ銀行、BNPパリバなど欧州を代表する金融機関との協議に臨み、イランとの金融取引再開を求めた。長官は4月にも国連の会合に出席するためニューヨークを訪れたイランのザリフ外相と2度も会談、同様の内容の声明を発表するとともに「もし不明な点があるならば、遠慮なく米政府に問い合わせてほしい」とまで付け加えた。
不可解とも見える米国の行動を理解するには、歴史をさかのぼる必要がある。
2012年に公開され、アカデミー賞を受賞した映画「アルゴ」にも描かれたように、1979年のイスラム革命直後に起きたテヘランの米大使館占拠事件を機に、米国とイランは国交を断絶した。以来、現在までその状態が続く。
最悪期を迎えたのはブッシュ(息子)政権時代。02年1月の一般教書演説でブッシュ大統領はイラク、北朝鮮とともにイランを「悪の枢軸」と指弾した。この年の8月にはイランの反体制派が秘密核開発を暴露し、さらに関係が悪化した。イラン空爆論が公然と語られたほどだ。
だが、こうした対立も解ける時が来る。13年夏に穏健派のロウハニ大統領が就任したのをきっかけに米国など主要6カ国とイランの核交渉が本格化。長く困難な交渉を経て両者は15年7月、核問題を解決する包括的共同行動計画に合意した。今年1月には、イランが核開発活動を合意通りに縮小したことが確認され、米国など主要国は制裁を解除した。
だが現実は甘くはなかった。
イランとの貿易や投資拡大には国際的な金融決済システムの利用が不可欠になる。しかし、米国は核問題を理由に導入した制裁は解除したものの、中東諸国のテロ活動支援にイランが関与していることを理由に、核問題以前に導入した金融制裁を維持した。イランとの金融取引を禁じたもので、米国の金融機関だけでなく、米国法人を持つ外銀も対象となる。つまり、ドル決済はいまもできない。
ではどうするか。円やユーロ、英ポンドなど他の通貨で取引すればよい。米国務省の報道官が「米国の制裁を回避する方法をアドバイスしている」と述べるなど「抜け穴」の利用を説いたほどだ。それでも欧州銀は動かない。5月のロンドン会合後、HSBCの最高法律責任者は「いかなる新ビジネスも行う考えはない」と米紙に寄稿している。
◇米大統領選みきわめ
イランの不満は募る。核開発縮小という切り札を切ったものの、見返りの果実が得られないためだ。5月30日にフィンランドを訪れたザリフ外相は「米国はもっと積極的に行動を」と批判を続ける。控えめに見ても、イランの言い分の方が正しい。
欧州銀がイランとの取引をためらう最大の理由は、オバマ政権の余命があと7カ月しかないことに尽きる。オバマ米大統領は、イランとの核合意を「政治的遺産(レガシー)」と位置づけるが、新大統領の対応は現時点では全く予想がつかない。イランとの核合意を猛烈に批判する共和党のトランプ氏が大統領に就任すれば、制裁が待ち受けていると覚悟するしかない。金融機関にそんなリスクを取ろうとする人はいない。米大統領選の行方は、イランの国際社会復帰にも影響を与えている。