◇免疫療法薬が抱える矛盾
酒井雅浩(編集部)
「1剤で国家が滅びかねない」
4月4日、財務省財政制度等審議会で、日本赤十字社医療センター化学療法科部長の国頭(くにとう)英夫さんが訴えると、居並ぶ委員を取り巻く空気が張り詰めた。
国頭さんが指摘したのは小野薬品工業の「オプジーボ」の価格。平均的な日本人男性(体重60キロ)が使用すると、薬代は1年で約3500万円。オプジーボは保険適用対象で、高額療養費制度もあるため、患者負担はごく一部にとどまる。
国頭さんの試算によると、非小細胞肺がんで、手術での治癒が難しい患者全員がオプジーボを使うと、薬剤費は年1兆7500億円に上る。現在、国の薬剤費は総額約10兆円。1剤で2割弱を上乗せすることになる。国頭さんの指摘に対し、委員からは「社会保障制度の持続可能性が揺らぎ、将来世代への負担になるという問題意識を共有した」「コスト面について、現場の医師にも認識してもらう必要がある」と賛同する意見が相次いだ。
この試算について、小野薬品を中心に「対象患者数を多く見積もりすぎている」との反論がある。しかし、小野薬品の成功を見て、製薬各社は、がん免疫療法薬の開発にこぞって参入し、「次の鉱脈」を掘り起こそうとしている。第2、第3のオプジーボとなる新薬が生まれ、さらに高額薬品として保険適用されれば、制度の維持は不可能だ。
半世紀以上にわたり、資力にかかわらず、国民の命を等しく守ってきた国民皆保険は、高額な薬品によって崩壊の危機が迫っている。
◇制度の穴狙う価格戦略か
だが厚生労働省は、危機感が薄い。
薬価は厚労省の諮問機関、「中央社会保険医療協議会」(中医協)で決まる。類似の医薬品や海外での価格が参考になる。オプジーボのような新薬は、開発費などの製造原価や、営業利益を積み上げて計算する。前例がない薬のため「『だいたいこんなものだろう』という根拠の薄い決め方にならざるをえない」(臨床医)と、多くの医療関係者が指摘する。
そもそも薬価が高くなる要因に、製薬会社の開発方針と制度の矛盾がある。
新薬開発は、市場となる患者数が多い症例ほど、他社との競争が激しくなる。一方、患者数が少ない難病は、市場が狭いため、他社が参入しにくく、新薬開発時の利益を独占的に得られる。
また、薬の効能を調べる臨床試験の段階では、患者数が少なければ、多症例での治験が物理的に不可能だ。加えて、治療法が限られる患者の要望を踏まえると、新薬を承認審査する厚労省管轄の医薬品医療機器総合機構(PMDA)の判断は「どうしても甘くなる」(厚労省官僚)という。
その上、薬価は、使う患者数が少ないほど高くなる構造にある。
限られた市場で開発にかかったコストを回収しなければならず、1剤の値段を高くしなければ賄えないからだ。オプジーボは14年7月、皮膚がんの一種「悪性黒色腫(メラノーマ)」の治療薬として承認された。メラノーマの予想患者数は日本国内で年470人と少なかったため、100ミリグラム72万9849円と高額に薬価が設定された。
だが、オプジーボは15年12月、非小細胞肺がんに適応拡大が認められた。対象の患者数は、年間1万5000人(小野薬品の予想)から5万人(国頭さんの試算)とされ、少なく見積もっても市場が30倍になった。しかし、薬価は当初決められたままだ。前提が変わったにもかかわらず、薬価が下がらないのは、制度の矛盾と多くの医療関係者から揶揄される。結果的に小野薬品の業績に「貢献」し、オプジーボの17年3月期の国内売上高予想は、前期の約6倍の1260億円としている。
厚労省官僚は「新薬はひらめきで突然できるものではなく、長く研究を続けた結果の産物。オプジーボが非小細胞肺がんに効くのは当然わかっていたことで、薬価高騰を見据えて先にメラノーマで承認を取る考えだったのではないか」と制度の穴を狙った戦略を疑う………
関連記事
この記事の掲載号
定価:620円(税込)
発売日:2016年7月11日