
◇摂政はご意思に背く
高森明勅(神道学者)
天皇陛下ご自身による8月8日のビデオメッセージは、譲位(生前退位)を望まれるお気持ちが強くにじみ出た内容だった。現在の制度にある摂政という選択肢を明確に退けられたのも印象的だった。摂政を置くという対処の仕方は事実上、可能性がなくなったと見てよい。
摂政は憲法5条に「摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」と規定されている。つまり天皇の国事行為を全面的に代行するのだ。憲法上、最も重視される国事行為が代行される以上、その他の公務や皇室祭祀(さいし)についても当然、同様の扱いとなる。
それも当たり前だ。なぜなら、摂政は「天皇が成年に達しないとき」か、「精神若しくは身体の重患又は重大な事故により」国事行為を「みずからすることができない」という深刻な場合にのみ置かれるのがルールだからだ(皇室典範16条)。
ご健康で責任感に満ちた現在の陛下が、摂政を必要とする状態でないことは、改めて述べるまでもない。陛下はご自身の極めて厳しい“採点基準”に照らして、天皇として、象徴として満点のお務めができにくくなったと自覚されたので、天皇という地位の尊厳を守るために自ら潔く退く決断をされたのに他ならない。
政府と国会は今後、譲位を可能にする法的整備を進めていくことになる。あらかじめクリアすべき論点をここで整理しておく。
まず、憲法改正が必要かについてだ。憲法には摂政の規定がある。譲位を認めると摂政は無用になるため、憲法の規定と矛盾することになり、憲法改正なくして譲位を可能にすることはできない、という見方が一部にある。だが、譲位と摂政を置く場合とは必ずしも同一の理由ではない。摂政が「重患」や「重大な事故」というネガティブな原因で置かれるのに対し、陛下がお示しになった譲位は「天皇の望ましい在り方」を守るためというポジティブな動機によるものであり、むしろ両者は対照的とさえ言える。よって矛盾は生じず、憲法の改正は必要ない。
逆に憲法にも皇室典範にも手を付けず、特別立法で「一代限り」の譲位を認める方策を探ろうとする動きが、政府内部にもある。だが………
(『週刊エコノミスト』2016年8月30日特大号<8月22日発売>24~25ページより転載)
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