◇雇用を奪うのは技術革新?
◇大統領候補に妙案なく
堂ノ脇伸(米州住友商事会社ワシントン事務所長)
9月12日、ワシントンのシンクタンク「戦略国際問題研究所」でカーラ・ヒルズ氏ら4人の元米通商代表部(USTR)代表によるシンポジウムが開催された。
大統領選が近づく中で民主・共和いずれの党の大統領候補もが、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)が米国内の雇用を奪うとして反対の姿勢を示している。いずれの元高官も、かつて自由貿易推進の牽引(けんいん)役とも思われた米国で、半ば保護主義への回帰といった風潮が見受けられる現状に警鐘を鳴らした。「雇用を奪っているのは通商ではなく、製造現場での技術革新による自動化・省人化の動きである」(ヒルズ氏)。
1990年代から米国の製造業雇用が中国などからの安価な製品の輸入によって減少を余儀なくされた事実は否定できない。しかし、この事象はもはや過去のものとなりつつある。実際、この間米国の製造業の全生産量自体は(9・11テロとリーマン・ショック時を除けば)一貫して増加を続けている。第4次産業革命ともいわれる生産現場での技術革新による効率化、自動化が労働力の介在を減少させているのだ。
一方で、新たに勃興した産業では、従来の単純労働から更に質の高い技能、すなわちエンジニアリングやコンピュータープログラミングといったスキルを持った労働力が求められている。この分野での求人は需要が供給を上回り雇用のミスマッチが生じている。
このような雇用環境の変化は、国勢調査局の発表した米国への移民の動向からも見てとれる。同局の調査によれば、過去30年近く常に最も多くの対米移民を送り続けていたメキシコは2014年には3位に後退し、首位の座をインドに奪われている。メキシコ系移民の多くは一般に高校卒以下の低学歴で単純作業やサービス産業に就労している。一方、インドからの移民の多くは高学歴保持者で、上述したようなエンジニアリングやプログラミング、金融セクター等への就労機会が多いのだ。
◇元USTR代表の警告
ヒルズ元代表は「保護貿易主義的な政策によって国内の(単純労働従事者の)雇用の維持を図ることは、ひいては米国の相対的な国際競争力を減退させるのみだ。むしろ教育や職業訓練所の充実等によって労働者の質の向上を図ることこそが求められる」と述べている。
周知のごとく、ドナルド・トランプ大統領候補は、メキシコ国境に壁を設けて移民の流入を防ぎ、中国等からの安価な輸入品に高関税を適用するとして一部労働者層からの圧倒的な支持を取り付けている。時代の流れに取り残されつつある一般単純労働者の不安を巧みに取り込んだ結果だ。しかし、半ば不可逆的な米国の産業構造と雇用環境の変化に照らせばこれらが必ずしも正しい解決策であるとは思いにくい。
一方で、単純作業に従事していた労働者の質を教育や職業訓練を通じて向上させることも、一朝一夕にはできることではなく、容易な道程ではない。さらに、技術革新による自動化の動きはここにきて一段の飛躍を遂げようとしている。例えば自動運転技術の進展などが近い将来、自動運転タクシーやトラックの普及につながって、これらに従事している労働者(運転手など)の雇用を奪いかねないといった議論も起こりつつある。
技術革新が雇用に及ぼす影響は米国の今後の社会構造の大きな変化を想起させるものである。しかし、民主・共和両党にいまだ最適な解は見いだせていない。大きな転換期にあたって新政権がいかなる対応をしていくのかが注目されるところだ。
(『週刊エコノミスト』2016年10月18日号<10月11日発売>62ページより転載)