◇トランプ氏の「介入主義」で米製造業の衰退が始まる
吉松崇(経済金融アナリスト)
ドナルド・トランプ氏が1月20日の米大統領就任を前に、早くもツイッターなどを駆使して世界を動かしている。
米自動車大手、フォード・モーターは、メキシコの新工場建設計画について、トランプ氏から「恥知らず」「高い関税をかける」などと再三批判され、1月3日、ついに計画撤回を発表した。トランプ氏はこれに「感謝する」と応じたのもつかの間、今度はゼネラル・モーターズ(GM)に対して同日、「メキシコで生産した小型車を関税なしで米国に送っている。米国で生産しろ。さもなければ高い関税を払え」と脅した。
矛先は日本にも向いた。
トヨタ自動車に対して5日、メキシコで建設予定の「カローラ」の新工場について、「ありえない! 米国に工場を造れ。さもなければ高い関税を払え」とツイートした。
11日には選挙後初の記者会見で「多くの企業が米国に戻ってくる」と述べ、自らの行動を自画自賛して見せた。どうやら、民間企業へのこうした政治的介入がトランプ政権の特徴となりそうだ。果たしてトランプ氏の経済政策は米国と世界に何をもたらすのか。
昨年11月8日のトランプ氏勝利以来、ドル高と株高、そして米長期金利の上昇が続いている。ドル・円レートは、11月8日の1ドル=105円から1月10日の116円へと約10%上昇し、ユーロに対して約5%上昇した。米国債10年物の利回りは、およそ1・9%から2・4%へと0・5%も上昇した。ドル高は、この長期金利の上昇がもたらしたものだ。
株価もトランプ氏の経済政策に期待して大きく上昇している。ニューヨーク・ダウ工業株30種平均は1万8332ドルから、1月10日には1万9855ドルと2万ドルに迫っている。S&P500株価指数も2140ポイントから2269ポイントへと約6%上昇した。
このような株高、米ドル高はこれからも続くのだろうか?
残念ながらそう長くは続かないだろう。確かに減税の短期的な景気刺激効果は大きいと思われるが、いずれ冒頭の政治介入に象徴される「トランプノミクス」の負の側面が顕在化して、米国経済は困難に見舞われるだろう。
◇財政赤字の拡大
いまのところ「トランプノミクス」の政策パッケージは、およそ以下のように整理できるだろう。
- 個人所得税と法人税の大幅な減税
- インフラへの投資
- 保護主義的な貿易政策(北米自由貿易協定〈NAFTA〉の見直し、環太平洋パートナーシップ協定〈TPP〉からの離脱、中国の対米輸出と為替政策へのけん制)
- 国内雇用の確保
- 規制緩和
これらのうち(1)の減税と(2)の投資は米国の財政収支に大きな影響を及ぼす。
トランプ氏の減税案を要約すると、(1)法人税率の35%から15%への引き下げ、(2)個人所得税の最高税率を39・6%から33%に引き下げ、現在7段階ある所得税の累進構造を12%、25%、33%の3段階に簡素化、(3)キャピタルゲイン(株式の売買益など)と配当課税の減税延長、(4)相続税の廃止、(5)これらにより10年間で総額6兆ドル(約700兆円)の減税、ということになる。
年平均6000億ドル(約70兆円)減税が行われるとすると、これは米国の2016年の国内総生産(GDP)約18・5兆ドルの実に3・2%に相当する。同じく16年の連邦政府財政赤字はGDPの約4%、7500億ドルである。この減税規模がいかに大きいかが分かる。減税による景気拡大に伴う自然増収を勘案しても、連邦政府の財政赤字が拡大することは間違いない。
議会の共和党には財政均衡論者が多い。このため大減税の成立を疑問視する声もあるが、減税で景気が上向けば2年後の中間選挙で有利になる。全てではないにしても、相当な規模の減税が成立すると考えるのが妥当だろう。仮に減税規模が年平均4000億ドルだとしても、その50%が消費に回れば、GDPを1%強押し上げる。今年の実質GDP成長率1・6%が、17年にはこれだけで2・6%になる。
だが、インフラ投資のほうは、恐らく期待されるほどの効果をもたらさない。トランプ氏が言及している投資規模は5000億から1兆ドルというとてつもない規模だが、問題は、トランプ氏がこれを財政出動による公共投資ではなく、官民パートナーシップに対し税制優遇を与えることで民間資金を呼び込む、としている点だ。空港や有料道路のようなキャッシュフローのあるプロジェクトなら、この方式で資金調達が可能かもしれないが、米国が最も必要としている一般道路や橋の修復のようなキャッシュフローのないプロジェクトに民間資金を導入するのは困難だろう。
とはいえ、トランプ減税で経済成長率が底上げされ、財政赤字が大幅に増えることは間違いない。長期金利の上昇とドル高はこのような見通しに対する金融市場の正常な反応である。
◇ドル安で貿易収支改善しない
一方で、トランプ氏はNAFTAのような自由貿易協定が米国人の雇用を奪い、中国は為替を不公正に操作して、人民元安に誘導し、貿易で不正な利益を得ていると非難する。
だが、現在の中国の為替操作は、実は元買い・ドル売りという自国通貨高政策であり、トランプ氏の非難は全くの的外れだ。ただし、トランプ氏は貿易を2国間のゲームのように考えているようなので、ドル高が続くようだと、これをけん制する可能性はある。
しかし、そもそも貿易問題や為替問題を2国間のゲームで勝った、負けたと考えるのが間違いである。
米国は貿易収支・経常収支の赤字国である。その米国で財政収支の赤字幅が拡大すると、貿易赤字・経常収支赤字も必然的に拡大する。なぜなら、財政赤字の拡大が総需要を増加させるからだ。4000億ドル減税の50%が消費に回るとGDPを1%増加させる、と指摘したが、この消費増が輸入増をもたらすことは明らかだ。
1985年のプラザ合意の後で、米ドルはおよそ50%減価したが、それでも貿易赤字は減少しなかった。財政赤字がもたらす総需要の増加が貿易赤字を生むのであり、為替レートを操作しても、貿易赤字は減少しない。
トランプ氏はこのメカニズムを理解していないだろう。したがって、極めて理不尽な貿易政策や為替介入が行われる可能性がある。輸入品に関税をかける、輸入量を制限する、あるいは為替介入によるドル安というような手段を取っても、輸入物価が上昇するだけで貿易赤字は減少しない。米国の消費者の損失に終わるだけである。
◇政治介入が厄災を招く
トランプ氏は、米国の製造業が海外移転したため米国人の雇用が奪われたと主張する。既に、彼は「米国人の雇用を回復する」ために行動を起こした。
12月1日、トランプ氏は、エアコン製造大手のキャリア社と、インディアナ州の工場閉鎖とメキシコへの工場移転の中止で合意した、と発表した。これにより、同州で1100人の雇用が維持され、一方、キャリアは見返りに、インディアナ州から親会社ユナイテッド・テクノロジーズを通じて10年間にわたり、700万ドルの税の優遇を受けるという。
トランプ氏は、この発表と同時に「今後、米企業は、影響を受けずに米国から離れることはないだろう」と述べたが、これは政治介入で米企業の資本移動の自由を奪うという「介入主義」である。
こうした事態を受けて、フォードも1月3日、メキシコに建設を予定していた新工場を断念して、ミシガン州に工場を作り、700人を新たに雇用する、と発表した。こちらも州政府から補助金を受けるようだ。
ここには二つの問題がある。
第一に、米国人の雇用を奪っているのはメキシコ人ではない。
第二に、このような「介入主義」は、米国の製造業の競争力を大きく傷つける。
米国の製造業雇用は90年末の1739万人から、15年末の1232万人へと500万人減少している。一方で、製造業生産指数(09年を100とする指数)は、90年末=75、15年末=129であり、この間、製造業の実質生産高は実に1・7倍に増えている(製造業の雇用と生産指数のデータはセントルイス連銀)。
ちなみに、15年の米国の製造業の総産出高は6兆2000億ドルで、これは日本・ドイツ・韓国の製造業の総産出高の合計よりも大きい。製造業が生んだ付加価値額は2兆1700億ドルで、GDPの12%を占める。これは、州・連邦政府(13%)、不動産(13%)に次ぐ規模であり、金融保険業(7%)よりはるかに大きい(データは米商務省)。
米国の製造業が外国との競争で衰退しているというのは、全くの誤解である。ただ、製造業雇用が減少しているだけである。
米国の製造業は、過去25年のあいだに、労働生産性を著しく高めている。これが製造業の雇用が減少した主因である。NAFTAで増えたメキシコ製造業の雇用についてはさまざまな推計があるが、せいぜい50万~80万人程度で、これでは500万人の減少を説明できない。アメリカの労働者の雇用を奪っているのはメキシコ人ではなく、主に機械の発達、つまり産業用ロボットやAI(人工知能)である。
世界中の製造業は労働生産性を高めることで競争している。これを無視して、政治介入により無理やり米国製造業の雇用を維持しようとすると何が起きるだろうか?
労働生産性の上昇が止まり、米国の製造業の競争力が低下するだろう。
そればかりではない。キャリアの親会社、ユナイテッド・テクノロジーズがインディアナ州政府から税制優遇を受け、フォードがミシガン州政府から補助金を受けることに見られるように、米国の企業は市場競争から利益を得るのではなく、政府との交渉で利益を得ようとするようになるだろう。政府の介入で市場競争力が落ちるのだから、これは企業としては当然の行動である。
およそ1年前になるが、イタリア人の経済学者でコーポレート・ガバナンスの専門家であるシカゴ大学のルイジ・ジンガレス教授が、トランプ氏のビジネス手法を分析して、「州や市の政治家に選挙資金を提供して、普通には手に入らない不動産を手に入れ、税金の特別措置を受けるという典型的な縁故資本主義(クローニー・キャピタリズム)の手法である」と批判している。これはイタリアでベルルスコーニ元首相が行ったこととうり二つである、とも指摘しているsyu(ルイジ・ジンガレス「トランプというクローニー・キャピタリスト」『ニューヨーク・タイムズ』紙、16年2月23日)。
トランプ大統領の登場で、縁故資本主義が国家レベルで蔓延(まんえん)することになる。米国の製造業が国際競争力を失う。衰退の始まりである。
(吉松崇・経済金融アナリスト)
週刊エコノミスト 2017年1月24日号
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