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オリンパス「巨額損失」の全貌 外資「飛ばし商品」多用の泥沼

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2011年に巨額の損失隠しが発覚したオリンパス。損失先送りのために外資系金融機関の「飛ばし」商品を購入し、泥沼に陥った経緯を独自に入手した内部文書で浮き彫りにする。

 内部資料は2011年11月8日にオリンパスが粉飾決算を公表してから3日後に、同社顧問弁護士である森・濱田松本法律事務所とその後任のビンガム・マカッチェン・ムラセ外国法事務弁護士務所が合同で、森久志・副社長(粉飾決算で逮捕、有罪判決)に聞き取る形式をとっている。

 

 森氏によると、オリンパスは1997年9月以前に特定金銭信託(特金)による株式などの運用が470億円あったほか、特金の資産や預金を担保にした金融派生商品(デリバティブ)での運用を行っていた。これは、スイスの大手金融機関「クレディ・スイス」グループの東京支店が販売していた「含み損飛ばしスキーム」を示していると見られる。

 

 この仕組みは、オリンパスの含み損を抱えた有価証券をクレディ・スイス信託銀行に開設したオリンパスの特金口座が簿価で買い取り、オリンパスの帳簿上の損失を消した上で、クレディ・スイス・ファイナンシャル・プロダクツ(CSFP)銀行が期間5年程度のデリバティブを使い長期的に損失を取り戻すというもの。しかし、株価が低迷し、逆に損失を拡大する結果に終わった。

 

 損失はこれにとどまらない。含み損を解消しようと、オリンパスは同様の商品を米モルガン・スタンレー、オランダのING、スイスのインターアリアンス銀行などから購入したほか、仏パリバ証券からデリバティブを組み込んだ金融商品「パリバ債」を400億円購入。だが相場が悪く、さらに損失を膨らす結果となった。オリンパス第三者委員会報告書によると、同社の含み損は98年頃には950億円にまで拡大していた。森氏は損失拡大の理由について、「一番大きいのはデリバティブ」と話している。

 

 これらの損失先送り商品の含み損を隠すため、96年1月に英ケイマン諸島に簿外ファンド(CFC)を設立、INGやインターアリアンスなどの商品が抱える損失を飛ばした。また、同様に97年3月にケイマン籍の簿外ファンド(QP)を設立し、こちらには含み損を抱えたパリバ債を飛ばした。それぞれのファンドで抱えた簿外損失はCFCで640億円、QPで320億円に達した。

 

裁判への影響

 

 その後、簿外ファンドで買い取ったパリバ債などは外部に売却し、簿外ファンド内の損失は確定したが、今度はファンドの維持管理に毎年数十億円の費用が掛かり、結局08年には簿外損失額が1100億円程度まで拡大してしまった。

 

 そのため森氏は、「これはとんでもないですよ。どんどん(損失は)膨らむばかり。とにかく早く何かやりましょう」と当時、財務部門の上司だった山田秀雄氏(その後の副社長、常勤監査役)と相談し、08年に英医療機器会社ジャイラスの買収手数料や国内零細企業の買収金額を大きく膨らます形で、簿外ファンドに資金を送り、一気にファンドを清算した。損失解消に使われた国内零細企業3社に投資していたファンドについては、「それは、たまたま、そういった所に投資をしていた投資ファンドです」と語り、簿外債務の解消を目的に設立したことを否定している。

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 ここで問題となるのが、現在進行中の損失隠しの「指南役」とされた元野村証券社員の横尾宣政氏に対する刑事・民事裁判。同氏がオリンパスが巨額の簿外債務を認識していたかが焦点となっている。

 

 裁判の一審では、92年当時に横尾氏が山田氏からオリンパスの含み損の状況を聞いたときに記したメモが家宅捜索で押収され、これが横尾氏が92年当時から含み損を認識していた有力な証拠とされた。しかし、このメモに記載されている金融機関は、スイス銀行、IBZ、スイスユニオン銀行、米ペインウェバー証券の決算対策商品で、今回の森氏の証言に基づく一連の損失先送りのために購入した金融商品とは異なる。

 

 裁判では、97年末ないし98年初め頃、横尾氏が山田氏から含み損の存在を改めて聞いた上で、簿外ファンドへ資金を融資するLGTリヒテンシュタイン銀行を紹介したことが、「粉飾幇助」として追及されている。

 

 今回の森氏の証言で、横尾氏が粉飾ほう助として追及されている簿外の「含み損」の存在を同氏が認識していたとは言えなくなる。横尾氏は編集部の取材に対し「11年に事件が発覚して初めてオリンパスが97年に損失を簿外ファンドに飛ばしたと知った」と説明している。(編集部)

 

 

<以下、内部資料 P3~9>

 

MHM(森・濱田松本法律事務所) それを今、取り寄せ作業中ということですか?

 

森 そうです。正に今晩もこれからオフィスに戻って、LGTと電話をやるわけですけれども、LGTの担当者も当時設定した時の担当者が辞めてしまっていて、その後替わっていると思いますね。そういったところで、引継の問題とかも色々ありますけれども。

 

MHM 取り敢えず、おかれているのはLGT、それはリヒテンシュタインですか?

 

森 リヒテンシュタインです。

 

MHM あとはチャンミン?

 

森 シンガポールです。

 

MHM チャンミンポン?(編集部注:チャン・ミン・フォン氏。台湾系中国人。オリンパス事件の損失隠しスキームの1つ「シンガポールルート」の「指南役」とされる。コメルツ銀行シンガポール支店などに勤務)

 

森 そうです。あと、所謂、事業投資ファンドの部分もありますので、そこは国内だったら同じなので…。

 

MHM すると、細かい数字は分からないということで、歴史を遡って、そもそもバブル崩壊で損失を被った。それで飛ばしをしようというスキームは誰が当時始めたんですか?

 

森 ちょっと、すみません。飛ばしというのは、そこのところはよく分かっていなくてですね。今のスキームっていうのが大体2000年とか、LGTとの付き合いが恐らく1999年じゃないかと思いますが、要するに、時価会計を見据えて少しずつ動いてきているんですけれども。だから、大体1999年とか2000年とかで動いています。1999年の9月末には、所謂、特金っていうのが200数十億あって、それ以前は470億円だとかっていう、それくらいの残高がありました。それで、その特金の中でそのような運用がされていたかっていうところが、これも記憶がない。山田なんかに言わせると、金額もそうだけれどもそこの資産を保証金みたいにしてスワップみたいなものというかデリバティブっていわれる運用があるはずだっていうふうに言っています。だから、そうすると、そういったものの想定が過去にどれぐらいあったんだという話になってしまったんですけれども、そこがよく分からないんです。昔過ぎて、オリンパスで資料が残っていないんですね。それで苦しんじゃっています。だからバランスだけ見ても分からない部分があって、繋がらないんですよね。繋がらないんです。

 

MHM 時価会計導入前は、90年代初頭から評価損...(雑音)

 

森 恐らくそうだと思います。だから実現損であれば、ある意味、実現損を出していたんですが、実現していないものを、そのまま隠れたままずっと、1990年代も恐らくそういう状態だったと思いますけれども。

 

MHM 特にそこの部分は...ない状態でただ単にアセットの評価損が…

 

森 恐らく、さっき言いましたようにアセットの評価損、持ったアセットの評価損だけだと始まりは2000年の500億円だとしたら、そんなにするわけはないなと思っていて、繋がらないというのはそういう意味です。例えば、さっき言った特金で470億と言いましたが、470億のわけがないんで。ですから、恐らく、ちょっと分かりませんが、50%の含み損があったとしても、それだけでも250億じゃないだろうか。それで、デリバティブっていうものをやっていたがために、...(雑音)取引銀行に対して、恐らく、預金を保証金みたいにしていれていたんじゃないかと思います。それっぽい預金があります、実際。特に外資系の銀行に対して、置いているようなものがあります。例えば、クレディ・スイス銀行だとかモルガン・スタンレー銀行だとか、ING銀行だとかそういった所に、そういった預金を置いているんですよね。100億円だとか150億円だとか、恐らくそういったものが何等(ら)かの保証金みたいな形でデリバティブをするに当たっての元になったというふうに思います。だから、クレディ・スイスなんかとは確実にそういうものがあった。そういう記憶があります。

 

MHM エクイティが飛ばしであげられたって

 

森 あれっていつですかね? CSF、Pでしたっけ。(編集部注:クレディ・スイス・ファイナンシャル・プロダクツ(CSFP)銀行東京支店のこと。有価証券の含み損や不良債権を抱えた日本の事業法人や金融機関に損失先送り商品を販売。1999年7月に金融庁に免許取り消し処分を受けた。当時の支店長は銀行法違反(検査忌避)で警視庁に逮捕され、東京地裁で有罪判決を受けた)

 

MHM 97か8だよね。

 

森 いつでしたっけ。

 

MHM FPの方ですね。フィナンシャル・プロダクツ。

 

森 フィナンシャル・プロダクツを最後、何かやられていましたよね。

 

MHM 96、7年頃はまだそういう取引やっていたから、8とか9かも知れない。確か、日本の企業は潰れ始めた頃から後で、何か意趣返しとか言われていたねえ、確か。そんな感じですよ。

 

森 そういうイメージだと思うんですけれども。

 

MHM 99年4月の冒頭で、99年に行政処分があったんです。多分そういうイメージだと思いますよ。

 

森 だから、それがあった時にうちに取引があったっていうふうには思わないんですが、その前で終わっていたような気がするんですけれども。

 

MHM クレディ、相手はその時クレディでなくなっていたんですか?

 

森 と思うんですけれどもね。ちょっと記憶がその辺曖昧ですね。何かああいうニュースになった時は大騒ぎした筈だったんですけれども、そういう大騒ぎをした記憶がないんですよね。

 

MHM アドバイザーとしてはどなたのアドバイスっていうのは記憶にありますか?

 

森 今みたいな話で、例えば、どうしましょうかっていう話をクレディ・スイスにするとクレディ・スイスはこういうスキームはどうでしょうかっていう紹介を。じゃあ、それをやりましょうかっている感じで、それが積み重なっていると思いますね。私、一つ記憶があるのは、1990年代にある方から御紹介されて、インターアリアンス銀行っていうスイスの銀行にいったことがあります(編集部注:スイスのプライベートバンク。「ブリジット」という損失先送り商品を販売していた)。わざわざ、そういったことのために行っているんですけれども、上に何を言われたか記憶がないんですけれども、過去のオリンパスのバランスを見ると、確かインターアリアンス銀行っていうところに預金しているんです。だから、そういうことなんだなと思います。

 

MHM 以前、週刊朝日の記事だと、パリバ証券の担当者に何とかならないかと相談して、こういうペーパーカンパニーを使ったスキームを提案された、そういう趣旨の記載がありますけれども、そうするとパリバ以外にも幾つかってことなんですかね?

 

森 要するに、今のスキームみたいなことってそんな昔はやっていなかったと思うんですよね。そういうファンドで何かを持っているというのは。

 

MHM それは、前は銀行と、ある種デリバティブの相対をずっとやっていてというのが...

森 ちょっと、そのデリバティブをやった目的というのを単にそういったリスクをとって分業するのもあったかも知れませんし、ちょっと分かりません。昔のデリバティブって、例えば、頭で益を出して、後でリスクをもってくるっていうやり方…。

 

MHM ありましたよね。

 

森 ありましたよねえ。ですから、恐らくそういった様なことで、例えば、今期、損が出ましたって時に対して、そんなことをやったりしていたんじゃないですか。

 

MHM 5年間くらいで、最初のやつを利益をもらって5年後に損が出るみたいな。

 

森 損が出るのかリスクを持っているってことですよね。何かそんなようなことをやっていたんじゃないんですか。

 

MHM それは、クレディが正にあげられた飛ばし商品のデリバティブってことですよね。

 

森 例えば、どんなやつですかね?典型的には、変な話ですけれども、恐らくそういうのをやっていたんだと思うんですよ。

 

MHM 色んなものを確かに相対ではやっていたんですけれども、最初に消耗品を入れて、殆ど同額で益が出るんですけれども、後でほぼ間違いなくそれ以上の損が出るっている商品なんです。デリバティブを使った形になっているけれども、両方とも確定的なんですよね。利益も確定的だし、損も確定的だし。

 

森 だとしたら、ちょっと違うかも知れない。例えば百何十億っていう保証金、預金を置いて、百何十億っていう利益を出したとは思えない。ですから、そうじゃない。

 

MHM 30億円ぐらいですかね、イメージとして。

 

森 かも知れません。

 

MHM そんなような感じですよね、割合的には。

 

森 はい。

 

MHM だから、一部は、損がもの凄く大きくなるかも知れない。デリバティブ的レバレッジがきいていますので。だから、予想外のやつを含まれて、元々とってある。

 

森 そういうことだと思います。

 

MHM そういったデリバティブを処理するときに御社の社内では、誰がどういった形で情報を共有されていたんですか?

 

森 恐らく、当時は、情報を共有していた人が結構いたかも知れないですね。

 

MHM 財務部長とか本部長クラス

 

森 財務部長とか経理部長だとか担当役員って、当然、情報を共有していたんじゃないんですか。そうじゃないとおかしい。物事が進まないと思うんですけれども。

 

MHM それを決定するのは誰になるんですか?そういう処理をすることについては。

 

森 それは担当役員じゃないですか?それは。

 

MHM 2001年ぐらいだと、もう菊川(剛)さんが社長になられている。

 

森 そうです。こんな言い方して申し訳ないんですけれども、私は菊川が当然知っているっていう前提で、そういう話をする訳で、ただ、私も菊川とそういう話を直接したことがあるかっていうと、そういえばしたことがない。山田とは当然する訳ですけれども、ただ、菊川と山田の間ではそういう含み損があるという前提で担当を話をしていて違和感がなかったということですね。だから、直接こんなものがありますという話をしたことがあるかというと、じゃあ、その規模がどうだって話をしたことがあるかというと、私自身記憶が無い。ただ、そういう前提でこういったものがありますという話をしたことはあります。こういった前提があるからジャイラスみたいなことをやらなくちゃいけないんですっていう話をして。

 

MHM 森さんが具体的に含み損を、言わば投資商品がある中で、それぞれ含み損を隠していこうっていうようになったのは、具体的にはいつ頃ですか?

 

森 まさに、今言ったLGTとか、チャンだとか、彼等とコミュニケーションをとったのは私なんです。

 

MHM それが2001年?

 

森 だから、その2000年の

 

MHM 前年99年かも知れない? 大体と

 

森 そうです。

 

MHM その時の森さんの役職はその時は何だったんですか?

 

森 恐らく、山田が部長くらいで、恐らく私が課長ぐらいだと思いますけれども。

 

MHM ということは、その時は課長まで話が降りてきていたってことですよね?

 

森 だから、私は、それを知っていたということです。誰でも知っていることではないことですけれども。

 

 

<内部資料 P10~12>

 

MHM デリバティブなどのそういった形での処理が、そこから最終的にはアドバイザリー・フィーとか新事業三社とかの形になっていくんですけれども、そういうふうにスキームが変わっていったことの背景・経緯っていうのはどういった?関係ない?

 

森 そうじゃない、それは、2000年のそこで、ずっと持ち込んでいくスキームが固まって、そこは損の固まりで運用しているわけでも何でもなくて、損の固まりでアセット上は1500億円っていうのを持っていました(編集部注:オリンパスは、簿外ファンドに資金を回すため、LGT銀行への預金に380億円、コメルツ銀行への預金に460億円、ベンチャーファンドGCNVに300億円、LGT銀行の私募投信「GIM-O」に350億円の計1490億円を投じていた)。これが、このままずっと持っていると、さっき言ったコストばっかりかかってしまうので、どうやって崩すのよという、そういうチャンスをずっと窺っていたわけです。ただ、アイデアが全然無い。必ず順番にロスを出せばいいわけですけれども、一つの固まりが、そうは言っても500億だとか、300億とかの固まりで、一つ崩すって、中途半端に崩すことはできないですよね。一部だけ解約するって、500億円の200億だけ解約して、ロス出ましたって、残りのやつを評価したらそれだけになりますよねっていう話になるものですから、崩しようがなくて、それで何か大きなもののお金が動く時にっていう、そういうことを考えていたのが一つ。たまたま、それとは別に、これは完全に社内的にはM&Aの話、医療の強化っていうのは当然出ていて、そういうのがポイントで、それを実際に実行するに当たっては、特にボストンの時からそういう感覚ですから、これ使えないのかっていう話をし始めていました。あと、それとは別に一方、事業投資ファンドをつくったっていうのは2000年なんですけれども、事業投資ファンドをつくるに当たって、そこはまず、一旦含み損をどうやって持っていたかっていう話の一つなんですけれども、普通、投資をするんだったら、何かうまく一つでも分かったりするのはないのかねという話はしていたってことですね。実際、恐らく、さっき言った3社みたいなアルティスとか何とかっていう投資が始まったのが、2000年から始まっているわけではなくて、もう少し後だと思うんですけれども、2004年とか。それは、たまたま、そういった所に投資をしていた投資ファンドです。そういった中で、オリンパスのビジネスに合っていそうだし、あと、事業、市場規模が大きそうだしと、そういったようなもので、あの3社を選んで、これにお金をかけると、将来大きくならないかと実際、そんな話をしていました。ただ、だから実際にはそうは言っても、あまり時間はないよねという言い方の中で、ああいう3社の使い方をしましたし、一旦そこで、500億円ぐらいですか。そういったことをやって、で、並行して、ああいう買収の関係の動きがあって、ジャイラスの話。ジャイラスの話についても本当はあそこまで大きくなるとは思っていなくて、あんな風な展開になっていくとは本当は思っていなくて、ただ、ああいうやり方をするんであれば、要するに、ファンドを一部解約とかしてロスを出すっていうやり方ではなくて、場合によってはそうやって暖簾にのっけたりできるよねっていうことで話をしていました。ですから、ジャイラスの時の話としては、ジャイラスのところで、一つうまくいくんだったら、同じようなことをもう一回すれば、2つぐらいで片付くんじゃないのっていう感覚ではいたということです。暖簾にうまくのっけられればいいよね。ところが、ジャイラスの場合は、なかなかそう簡単には暖簾にのっけられなかった(笑)、ということが問題ではあったんですね。

 

MHM なるほど。最初の150億円ぐらいの時ですか?

 

森 そうです、そうです。

 

MHM 元々、そういう形で何か大きなお金が動く時にうまく処理をしたいという、そういうアイデアっていうのは誰が出してきたんですか?

 

森 これは基本的に山田と私で議論をしてました。何かやらないと、これはとんでもないですよと。どんどん膨らむばっかりですよ。とにかく早く何かやりましょうと。どちらにしてもロスを出せないからここにきたんだけれども、小さなロスでいいから出し方を考えませんかっていう話は当然しています。それとは別に、どうせ出せないんだったら、何か会計上、とにかく問題にならないアセットがありませんかと。それで一つはM&Aなんですよね、どう考えても。

 

 

<内部資料P29~30>

 

MHM 含み損を抱えたものっていうのは、株か何かですか?元々のものっていうのは株とか?

 

森 山田に言わせると、元々の一番大きいのはやっぱり、さっき言ったデリバティブじゃないかって言っています。デリバティブじゃないかって言ってますよね。逆に言うとそれぞれ、90年以降株の投資とかでロスになったのを、一方営業外ではロスにあてて、一方それは益で、営業外上はバランス取ってやってきたんじゃないかと言っているわけです。だから元々のロスは株式のロスかもしれないです。それを何か裏側でっていうことじゃなくてバランス…、営業外がおそらく益と損の両方ふくらんでたんじゃないか。それは見てても分かるんじゃないですかね。

 

MHM 毎年の実際の含み損の状況みたいなものは何百億にもなってないと思っていた?

 

森 全部横に並べて見るということは滅多にしなかったですけど、そうは言ってもその時々というか、それぞれの所で「今これぐらい」っていう話はしていました。だんだん大きくなっていくというのは認識していたんです。これがすごく問題で、だからある時維持できなくなるよねっていうのは明確に認識しておりました。

 

MHM 森さんとしたら、どこかで解消したいという…

 

森 そうです。せざるを得ない。かと言って、これと同じことをまた他でやれるかということも思ってはいなかった。

(週刊エコノミスト2017年7月25日号掲載記事の詳報)

 

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