異次元緩和の根拠である政府・日銀の共同声明には、金融の不均衡に目を向けるよう明記されている。
翁邦雄(法政大学客員教授)
2013年春の就任以降、黒田東彦日銀総裁は金融政策の目的を「2年間で2%」というインフレ目標の達成に絞ってきた。黒田総裁がこうした政策を展開してきた背景には、「物価が上がらないから景気が良くならない」というデフレ主犯説と、「インフレーションはいつでも・どこでも貨幣的現象」という物価理論の二つがあった。
この4年半の経験は、この二つの主張がいずれも誤りだったことを示している。
まず、インフレ率が低くても、経済は現在のように好況になり過熱さえする。それはバブル期の経験から分かっていたことだ。
そもそも、1990年代に流行したインフレ目標政策に日銀が懐疑的だった大きな理由の一つには、バブル期は物価が上がらず、それが金融緩和是正を困難にした苦い経験がある。バブルの経験は、物価に限らず、経済全体、とりわけ金融面の不均衡に目を凝らす必要があることを痛感させた。物価安定が経済全体の安定の必要十分条件ではない点は、リーマン・ショック以降、ようやく欧米の中央銀行にも理解が進んできた論点だろう。
第二に、黒田総裁は「目標達成のために必要であればちゅうちょなく政策を調整する」としてきたが、4年半たってもCPI(消費者物価)前年比は0%台で、金融政策だけではデフレ脱却が実現できないのは明らかになった。皮肉なことに、異次元緩和は「中央銀行が本気を出せば、リーマン・ショックが来ようが東日本大震災に見舞われようがインフレ目標は達成できる」というリフレ派の非現実的な主張を完全に否定する役割を果たした。
しかし、政策目的を過度に単純化したインフレ目標至上主義のもとで、日銀の金融政策は硬直化している。このままでは、多様で大きな副作用を累積させ続け、金融システムを不安定化させかねない。
◇共同声明に立ち戻れ
黒田総裁が来春の任期切れ以降に続投した場合でも可能な、現実的な政策枠組みの立て直し策は、13年1月22日に公表された「日銀と政府の共同声明」に立ち戻ることだ。
この声明で日銀は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とし、これをできるだけ早期に実現することを目指す一方、政府は、日銀との連携強化にあたり、財政運営に対する信認を確保する観点から、持続可能な財政構造を確立するための取り組みを着実に推進する、とうたわれている。これは金融政策の強化が財政ファイナンスにつながる懸念に配慮したものと言える。
注目すべきは、共同声明で日銀は、「金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、経済の持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないかどうかを確認していく」とし、物価目標達成至上主義とは明確に距離をおいている点である。
実際、公表の3日後に共同声明について説明した白川方明総裁(当時)の講演では、海外中央銀行は、インフレ目標を採用するかどうかにかかわらず、物価安定の達成時期を明確には定めておらず、日銀も「持続可能」な物価安定を目指すという点で、海外の中央銀行と同様の考え方に立ち、金融の不均衡などのリスクを考慮し、インフレ目標達成時期にこだわらない──と強調している。
現在、日銀によるイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)で、政府は財政規律を失い、利ざやが稼げなくなった銀行は経営を圧迫され、長期国債市場の機能は著しく低下、株式市場も、下がると日銀が上場投資信託(ETF)を買って株価を支えることでゆがめられるなど「金融の不均衡」は著しく累積している。日銀はこうしたリスクにもっと目を向けるべきだ。
黒田総裁は9月21日の定例会見で、「共同声明は現在でも生きている」と述べている。だから、黒田総裁が続投する場合にも、この精神に立ち戻った政策運営はできるはずだ。
しかし、黒田総裁は同じ会見で、政府の財政規律への姿勢が日銀の出口戦略に与える影響に関する問いに対し、「金融市場に与える影響があり得るからといって、『物価安定の目標』という日本銀行として最も重要な目標を、英語で言うコンプロマイズ(妥協)することはあり得ない」と述べ、物価目標至上主義的な姿勢を鮮明にしている。
この姿勢は残念ながら、共同声明の基本的立場とは相いれない。また、黒田総裁の議論は、政府と中央銀行の関係に関する有名な「マネタリストのある不快な算術」の議論──中央銀行に独立性があっても、国益を考えると、中央銀行が政府債務をデフォルト(不履行)させることはできない──を無視している。この不都合な真実があるからこそ、中央銀行は財政規律への影響をあらかじめ考慮した政策運営が必要なのだ。財政規律を失わせた後では、多少、抵抗したところで最終的には従属しないと国益を守れない。
◇日銀は「政府の別働隊」となった
異次元緩和後の金融政策運営、という問題をより大きく捉えると、そもそも日銀の独立性をどうすべきか、という問題に行き着く。
現在の異次元緩和は「アベノミクスの第一の矢」と位置づけられており、実質的には政権と一体の政策だ。法律上の独立性にもかかわらず、日銀の独立性は事実上、きわめて弱い。また、安倍晋三政権になってからは、総裁、副総裁に限らず、審議委員も政府と考えを共有できる人だけを選ぶ、とされている。
この政府の方針は、いくつかの問題点をはらんでいる。第一に、物価目標至上主義的な考えを共有している人ばかりが集まっては、議論の方向が緩和強化サイドに偏り、リスクについての議論は深まらない。
より深刻な問題は、政府と意見を共有できる人だけが選ばれた中央銀行は、当然、「政府の別働隊」になることだ。独立性を与えられた中央銀行は政府のように国会で厳しく責任を問われることなく、政府の考えに沿った金融政策を大規模に実施することができ、その影響はいずれ財政に大きく跳ね返る。これは、憲法83条の「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」とする財政民主主義の理念に反する。
日銀に限らず、多くの国で中央銀行に与えられている独立性は、憲法に根拠を持たない、ごく弱いものだ。金融緩和に頼りがちな政治家が、その弊害に懲り、高度な自制の手段として、中央銀行の金融政策に介入できないように自らの手を縛ったにすぎない。
ちなみに言えば、インフレ目標政策も、選挙目当ての積極的な金融政策の乱用による高いインフレ率定着で経済が疲弊したニュージーランドで、政権交代を機に、政府の恣意(しい)的な介入から金融政策を切り離す手段として導入された。その試みがインフレ抑制に成果を上げたことで、世界的に広がっていったのだ。
中央銀行の独立性もインフレ目標も高インフレの時代の産物である。不人気な金融引き締めにはいずれも有用だった。しかし、デフレ時代には、それが財政規律を損ない、金融システムを不安定化させかねない。
政府の意見に共鳴する人のみを選ぶ現在の人選を続けるなら、明示的に政府に監督責任を課す方向で日銀法改正を行う方が民主主義にかなう。もし、日銀に独立性を与え続けるなら、少なくともインフレ目標至上主義者でない論者もそれなりの数、審議委員に加えて、議論の幅を広げるべきだろう。
(翁邦雄・法政大学客員教授)
◇おきな・くにお
1951年生まれ。74年東京大学経済学部卒業、日本銀行入行。金融研究所所長などを歴任。2009年に京都大学公共政策大学院教授、17年より現職。経済学博士(シカゴ大)。近著に『金利と経済』。
週刊エコノミスト2017年10且24日号掲載