金融市場は日銀の出方をうかがうのみとなった。出口では、市場の金利形成機能を復活させる手立てが不可欠だ。
平田英明(法政大学経営学部教授)
日銀は2016年9月にイールドカーブ・コントロール(長短金利操作、YCC)政策を導入して以降、短期金利マイナス0・1%、長期金利ゼロ%程度という目標を実現できている。
白川方明前総裁の時代までは、長らく長期金利の制御は日銀にはできないとされた。これは、金利の期間構造理論を踏まえたものである。すなわち、長期金利は予想される将来の短期金利の平均に等しくなるかたちで市場において自律的に決まり(純粋期待理論)、そこにリスクプレミアムが乗ると考える。逆に、短期金利はインターバンク(銀行間取引)市場を通じて日銀がある程度制御可能であり、その積み重ねを通じて、間接的に長期金利に影響を与えていくことによって金融政策の効果が徐々に表れてくる。
では、黒田東彦総裁の時代に入り、なぜ180度方針転換して長期金利までを日銀が直接制御できるとし、実際に金利目標を実現できているのだろうか。
最大の原因は、大胆な非伝統的金融政策の結果として実現した国債市場における日銀の市場シェア(保有残高で全発行額の約4割)の大きさだ。加えて、日銀と市場のコミュニケーションの改善努力も成功の鍵となった。
◇指し値オペで指示される金利
本来、市場の主人公は民間部門であるべきだ。だが、あえて日銀は「官製市場」を作り出して市場機能を犠牲にしてまでも、長期金利をコントロールしていくことが必要だと考えていることになる。
その大きな理由の一つが、マイナス金利導入直後に、長短金利があまねくマイナス化してしまったという事実だ(図)。金融機関が日銀に保有する当座預金の一部へのマイナス0・1%の付利政策のため、短い年限の金利はともかく、長期金利までマイナス化したのは日銀の想定外であった。つまり、単にシェアの大きさだけで長期金利が適正水準に制御できるのではなく、そこに金融機関との密なコミュニケーションを付け加えることが、必要不可欠だったことを意味する。
YCCの「巧みさ」は、長期金利を持ち上げるだけでなく、極めて直接的に金利を押し下げるすべも備えているところにある。すなわち、金利上昇局面では、指し値オペという利回りを日銀が指定して無制限に国債を買い入れるオペを利用することで、値付けのシグナルを日銀が直接的に市場に伝え、市場をクールダウンさせられる。米国の金利上昇が意識される中、長期金利の上振れ傾向をけん制する形で、通算4回目7カ月ぶりとなる指し値オペが2月2日に実施されたばかりだ。
極端な表現をすれば、現在の金融市場では短期から長期に至るまで、まるで日銀は保育園の先生、民間の金融機関は保育園児としてある種の主従関係が構築されているような状況になっている。有事に備えた笛(指し値オペ)を持つ先生は、園児に手をつながせて白線(金利目標)の内側をしっかりと歩かせることに成功している。短期の資金繰り機能の部分のみならず、もっと長い期間の債券市場における金利形成機能の部分まで、日銀は市場機能を上手に低下させて、当局の意図を市場に極めて細かく伝えられるようになった。その結果、市場関係者にとっては、先生の指示する金利水準を理解することのみが必要な能力となっている。
今後、米欧での金利上昇が見込まれる中で、日本の金利にも上昇圧力が加わる機会が増える。当面、明示的なテーパリング(国債買い入れ額減少)が実施されない状況では、長期金利のコントロールは、「先生と保育園児」の関係と国債市場の日銀シェアを背景に、粛々と実行されると思われる。
では、テーパリングの局面に入るとどうか。
YCCの下での日銀と市場との主従関係は、ある意味でのコミュニケーションの構築ができている状態だ。だが、将来的に出口を展望し、市場において金利の予想やリスクプレミアムを織り込んだ自然な長期金利形成を促していく局面では、このレベルの関係では不十分だ。「大人同士」の関係で対話や合意形成ができる関係の構築が不可欠となる。ただし、一連の黒田バズーカでも、5年が経過してなお政策目標未達という事実に、市場は対日銀の不満のマグマをためており、一筋縄ではいかないだろう。
そして、金利上昇による利払い負担増と財政健全化に直面する政府も交えて意思疎通を図る必要がある。それなくして、市場の混乱を招かない長期金利の低位安定化は難しい。
今般の緩和からの出口に向けた取り組みは、かつての量的緩和からの出口に比べると、数段ハードルが上がる。短期から長期に至るまでの金利市場全般、さらには株式市場までを視野に入れながら行う必要があるためだ。さらに年間国債保有残高を買い入れで増やすペースが財政赤字(すなわち新規国債発行額)を下回る局面に入ると(詳細は本誌17年10月17日号掲載の連載第2回、小黒一正氏の稿を参照)、金利を低く抑え続けられるかは不透明となってくる。
06年の量的緩和からの出口の経験を振り返ろう。量的緩和では、オーバーナイト物(短期金融市場)の金利がゼロとなり、短期資金の取り手は日銀の資金供給オペに頼り、市場取引がしぼむ中で、資金の出し手はコストを賄う利益を出せなくなった。従来は資金の取り手であった銀行が、出し手に転ずるなど、市場の構造も大きく変化した。
結果として、「市場参加者は自らの金利観や資金ポジションを考えながら資金取引を行う必要」が低下し、「短期金融市場を支える市場インフラの縮小」が進んだ(「」内は08年11月25日の白川総裁〈当時〉講演より引用)。
市場インフラの縮小とは、担当人員の削減や取引ノウハウが培われなくなることなどを指す。つまり、緩和解除後(出口後)の円滑な市場機能の実現に向け、市場インフラを再構築するため、日銀は市場との対話を通じて民間のウオームアップを支援する必要があった。例えば、量的緩和解除後まもなく、金利正常化に向けて日銀は短期金融市場の課題をきめ細かく説明したリポートを公表し、積極的に市場と対話する機会を作った。
◇政府も金利形成の当事者
ここで、13年1月に政府と日銀間で交わされた共同声明を思い出したい。政府側の約束は財政健全化であったが、実質的にほごにされてしまっている。出口を展望する中で、市場(オペ先)、日銀、政府の三者が「三方一両損」的にお互いにリスクを共有し合うフレームワークを策定・合意し、三者とも不退転の決意を明確にするべきだ。
その実現に向け、まずは出口に向けた青写真の策定を行う必要がある。緩和と異なり、出口に関して市場はサプライズを嫌う。どのようなペースで段階的に量的緩和を弱め、金利水準を引き上げていくのかについて見通しを示すことが肝要だ。また、この間の市場の変化を把握しながら、市場機能の回復に向けた道標を示すことも忘れてはいけない。将来的な政策金利の見通しを市場に示すことで、市場が政策の見通しをしやすくし、プラスの金利のある状況に市場を慣らしていくことに腐心することも大事だろう。
量的緩和の導入や解除については、日本が先例となったが、テーパリングから引き締めへのプロセスは逆に米欧が先例となる。既に明らかなのは、忍耐強く長期戦で市場と対話・合意形成していくことの大切さだ。ただ、いくら日銀が忍耐強くても、景気がどこまで忍耐強いかは極めて不透明だ。景気後退局面入りし、出口の機会を逸するリスクは十分にある。残された時間は限られている。
(平田英明・法政大学経営学部教授)
◇ひらた・ひであき
1974年東京都生まれ。96年慶応義塾大学経済学部卒業、日本銀行入行。調査統計局、金融市場局でエコノミストとして従事。2005年法政大学経営学部専任講師、12年より現職。IMF(国際通貨基金)コンサルタント、日本経済研究センター研究員などを歴任。経済学博士(米ブランダイス大学大学院)。