安倍政権では政策過程が劣化しており、政策のリスクとコストを検証する議論が乏しい。
田中秀明(明治大学公共政策大学院教授)
あらゆる政策にはメリットに加えてリスクとコストがある。異次元金融緩和は当初の2年は許容できたとしても、今はそうとは言えない。政府・日銀は緩和政策のメリット・デメリットについて比較考量を行い、国民にわかりやすく説明するべきだが、後ろ向きである。政府・日銀は出口論を封じ、日銀内を含め多様な議論がない。こうした政策過程の課題は、金融政策だけでなく、安倍晋三政権全般に通じる問題だ。
黒田東彦日銀総裁の再任と新副総裁の人事が2月半ばに決まった。今回の人事は、政策の継続や市場にサプライズを与えないという意味では、順当だったと思う。そうであっても、当初の物価目標についての「アカウンタビリティ」を問わなければならない。
アカウンタビリティは、一般に、「説明責任」と訳され、時には単に説明すればよいと解釈されているが、全くの誤訳だ。筆者は、「主人と代理人の間であらかじめ定めた約束を、代理人がその通りに実現する責任」と定義している。
説明ではなく実現する責任
黒田総裁は、2013年3月21日の就任記者会見で、「2%の物価安定目標は既に定められているので、できるだけ早期に実現するということは中銀の責務と思っている。(中略)2年程度で物価安定目標が達成できれば好ましい」と述べた。また、同じ記者会見で、岩田規久男副総裁は、「デフレ脱却には、(中略)コミットメント(約束)が必要だ。言い訳をしないという立場に立たないと市場が信用しない。(中略)2年で達成できない場合、まずは説明責任を果たす。説明責任を果たせず、自分の判断ミスであれば、最終的には辞任する」と述べた。
2%の物価安定目標は5年が経とうとするなか未だに達成されていない。日銀の正副総裁は「アカウンタビリティ」について筆者とは別の解釈を持っているのだろうが、いずれにせよ、単なる説明では、公職にある者は許されるものではない。
目標未達成の理由として、14年の消費増税が挙げられているが、これは苦しい言い訳だ。GDP(国内総生産)統計では、消費増税の影響は半年程度であり、新基準では消費もそれほど落ち込んでいない。原油価格下落などを含めて、目標達成を6回も延期した理由にはならない。
誤解のないように言うが、筆者は、2%の目標達成に向けて挑戦しようという最初の2年間を否定するものではない。政策は、最終的には判断だからである。当初からインフレ目標の達成について懸念も示されていたが、13年の時点では実験してみないとわからなかったとも言えるだろう。しかし、2年が5年、更に時間がかかるならば、話は全く違う。
今や日本経済は完全雇用であり、人手不足になっている。17年10~12月期の実質GDP(速報値)は0・5%(年率換算)となり、8期連続成長で28年ぶりの長さになった(図)。他方、日本経済の問題は潜在成長率が1%未満と低いことであり、それは金融緩和では解決しない。この5年は金融政策の限界も証明した。
それゆえ、今後、金融政策の舵取りはいっそう難しくなる。金融緩和継続の理由として挙げられるのは、早期の金融引き締めは日本経済をデフレに戻し、景気を後退させるというものである。これは、景気上昇局面で常に中央銀行が直面する問題である。政治は足元の景気刺激を望み、出口に向かうなどとんでもないと捉える。財務省にとっても、金利上昇は利払い費増につながるので避けたい。来年は、参議院選挙、消費増税(10月)などが予定されており、政治は、財政政策を含めて更なる拡張を望むだろう。
日銀も新日銀法によって独立性は高められたものの、00年のゼロ金利解除などで「金融引き締めが景気後退を招いた」と批判を受けたトラウマがある。また、黒田総裁は期待に働きかけることを強調しているので、出口論そのものを避けている。
中央銀行といえども完全な独立はないが、政治との一定の距離は必要であり、バンカーとしての政策判断が求められている。金融緩和の継続はタダではなく、リスクとコストがある。一部には、日銀の国債の購入などの金融緩和にはリスクもコストもないという主張があるが、それはあり得ない。
金融緩和の主なリスクとコストとしては、以下が挙げられる。
①市場に過剰な流動性をもたらし、資産ブームやバブルを招く。
②銀行などの収益を悪化させるとともに、個人の預貯金の金利収入を奪う。
③低金利により、ゾンビ企業が生き残り、イノベーションを阻害する。
④政府は利払い費の低下により無駄な支出を増やし、その借金を将来世代に転嫁する。
⑤日銀が企業の大株主となり、コーポレートガバナンス(企業統治)を損なう。
⑥将来の金利上昇局面で、日銀の損失が増大し、国民負担となる。
筆者は、金融緩和の最大の問題は、低金利でゆでガエル状態が続き、急速に進む少子高齢化への対策と産業の新陳代謝が遅れることだと考える。当初の2年間は金融緩和でカンフル剤を打つとしても、日本経済の隘路(★ルビ、あいろ)や生産性低迷の原因を分析し、規制、労働市場、税制、社会保障などの抜本改革を果敢に実施するべきだった。
安倍政権は改革しているふり
政策の政策の評価がないという問題は、安倍政権全般に通じる。3本の矢、成長戦略、地方創生、1億総活躍、働き方改革など、政権の看板的な政策が十分な検証もなく、次から次へと入れ替わっている。昨年の衆院選挙前には、教育の無償化が決まったが、教育への公的支援の拡大は、より豊かな者も助けることになるにもかかわらず、費用対効果などについての議論は乏しかった。
要するに、安倍政権では政策立案過程が劣化しているのだ。小泉純一郎政権で政策立案の透明性向上に寄与した経済財政諮問会議は、安倍政権では、影が薄い。諮問会議は、もともと90年代のマクロ経済政策の失敗を反省し、経済の司令塔としての役割が期待されたが、そのための活発な議論や検討は今やほとんどない。更に公務員は内閣人事局の設置で、政治のイエスマンとなり、忖度に走っている。
安倍政権は改革を進めているように見えるが、痛みを伴う真に必要な改革は選挙を意識して取り組まない。アベノミクスは、成長がすべてを解決する楽観論を振りまいている。
ハーバード大学のファーガソン教授は、その著書『劣化国家』で、世界中で雪だるま式に膨れ上がった巨額の債務について、世代間の社会契約を回復することが喫緊の課題となっていると指摘し、選挙権のない子どもたちのお金を使うことを戒める。
この問題の解決策として、ファーガソンは、構造改革の推進、ギリシャのような危機の末の債務不履行とインフレなどを挙げる一方、現在の日米については、債務は増大し続けるが、デフレ懸念と中央銀行の国債買い入れにより、政府の借り入れコストは歴史的水準にとどまり、数十年にわたるゼロ成長となるのが帰結だと言う。
更なる金融緩和の継続は、短期の政治的な利益にかない、国民にとっても心地よい状態かもしれないが、中長期の経済的利益や安定を損ないかねないことを認識するべきである。
*週刊エコノミスト2018年3月20日号掲載
◇たなか ひであき
1960年東京都生まれ。83年東京工業大学工学部卒業、85年同大学院修了、旧大蔵省入省。内閣官房、内閣府、外務省等で勤務。政策研究大学院大学で博士号取得(政策研究)。12年より現職。著書に『日本の財政』など。