Interviewer 金山隆一(本誌編集長)
── 貝印の原点は。
遠藤 創業の地は刃物の町で知られる岐阜県の関市。今年創業110周年を迎えます。祖父が遠藤刃物製作所を興しポケットナイフの製造を始めました。これまでカミソリ、包丁、爪切りなど刃物を生業にしてきました。少し年配の方だと「カミソリの会社」のイメージがあるかもしれません。銭湯の番台にあった弊社の「5円カミソリ」を記憶されているかもしれません。現在の生産数は、刃の枚数でいえば年間8億5000万枚ほどになります。
── 売り上げの内訳は。
遠藤 包丁を中心とした家庭用品が最も多く35%です。次いでカミソリが22%、爪切りなどの美粧用品21%となります。業務用の特殊刃物が15%、残りは医療用品のメスなどで7%ほど。弊社は「軽便カミソリ」などのディスポーザブル(使い捨て商品)が強く、とくに女性用は国内市場の43%を占めています。
── 刃物の製造工程は。
遠藤 まず、刃物の製造過程は大きく分けてプレス、焼き入れ(熱処理)、刃付けの三つがあります。カミソリの場合、その後に刃先の表面を処理する第4の工程が重要になります。お客様は深くしっかり剃(そ)れることと同時に、肌がカミソリ負けしないソフトな切れ味も求められます。この相反する要求にいかに応えるか。そのためには焼きがしっかりと入る材料を使わなければならないし、三つの工程を完璧にしないといいカミソリはできません。
◇77年にアメリカ進出
── 海外展開を決めた経緯は。
遠藤 自社で培った3工程であれば、海外メーカーとも戦っていける、素早い対応力を養っていけば海外のお客様にも受け入れられるだろうと思いました。(刃物製造発祥の)関市の企業は海外のOEM(相手先ブランドによる受託生産)を受けている会社も多かったですが、私たちは自社ブランド主体でやりたいと、1977年にアメリカに進出しました。79年にはポケットナイフのアメリカナンバーワンブランドのカーショーナイフを吸収合併しました。
── どのように広げていきましたか。
遠藤 海外の生産拠点を増やしたこと、現地の事情に従ったマーケティングをしてきたことが大きいです。カーショーナイフ以外に海外企業の買収はほとんどありません。自前でやっていくのが私たちのカルチャーです。私が社長に就いた89年の海外の売上比率は2割に満たなかったですが、今では国内と海外の売上比率は半々ぐらいになりました。現在、アメリカの現地法人は約90億円の売り上げがあります。
── 苦労があったのではないですか。
遠藤 いいえ、新しいことに取り組むことはとても楽しいですよ。お客様と話し合って物をつくる。それが実際に受け入れられて売り上げが上がる。私も頻繁に海外に行きました。非常に手応えが感じられて楽しかったです。
── 海外生産拠点の現状は。
遠藤 中国の上海と広東省にある工場はそれぞれ設立して20年になりました。うまく現地化できています。ベトナム工場は昨年に設立10年となり750人が働いています。インドは100人が働いていますが、まだ立ち上がりの段階です。
── これまで成長できた要因は。
遠藤 刃物の種類を多くそろえ国際化し、管理している企業は弊社以外にほとんどないことが強みです。(商品開発では)デザイン、ユニーク、パテント(特許)、ストーリーをキーワードにしています。累計650万丁販売している高級包丁シリーズ「旬(しゅん)」がその良い例です。このヒットで世界中のメーカーが同じような商品を安く出しましたが、「旬」が一つのブランドとして確立しているため、口幅ったい言い方ですが「旬」シリーズは強いです。
◇医療用メスにも注力
── これから注力していく分野は。
遠藤 力を入れているのは白内障や緑内障を治療するための眼科用メス。医療用のメスは用途も広く、治療方法の進化もあり医師からのニーズもあります。
先端素材などの特殊な工業用部品や高級車の内装の皮シートを切る刃物などの需要もあり、裾野は広いです。我々のカミソリの刃付け技術をより進化させればますますチャンスも広がります。
── 技術蓄積や人材育成はどのように。
遠藤 社員のモチベーションアップのための社内認証規格として「匠(たくみ)マイスター制度」があり、今50人ほどが取得しています。他にも小売店の協力を得てインショップ形式の「kaiショップ」があります。お客様と直接対話して刃物の研ぎ方などを教えたりしています。現場で何が求められているのか情報を見られることも大きいです。
── 今後の目標は。
遠藤 昨年からインドで刃物の販売を始めました。大きなポテンシャルがあり軌道に乗せたい。(社内システムでは)欠品をなくしたり需要予測に役立てるため生産販売統合情報システムを2018年度内に整えたいです。また、私自身は(来年の)創業111年を大きな節目として考えています。今息子が常務に就いていますが、彼を中心に成長戦略をスタートさせます。
(構成=成相裕幸・編集部)
◇横顔
Q 30代の頃はどんなビジネスマンでしたか
A 33歳で社長になりました。父からは「3年間はあせってやるな」と言われ、3年後に海外展開をより進めました。30、40代は海外を飛び回っていました。
Q 「私を変えた本」は
A 田坂広志氏の『人間を磨く』です。ここ5年間で一番影響を受けた本です。面接に来た就職活動生に差し上げています。
Q 休日の過ごし方
A ゴルフが好きです。また、ドラッグストアをのぞいたり実際の売り場を見ながらのお店巡りをします。
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■人物略歴
◇えんどう・こうじ
1955年、岐阜県関市生まれ。県立岐阜高校、早稲田大学政治経済学部卒業。79年12月、米ロヨラ・メリーマウント大学大学院修了(MBA取得)。80年3月三和刃物(現貝印)入社。86年常務、89年副社長、89年9月から現職。62歳。
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事業内容:家庭・業務・医療用刃物の製造・販売
本社所在地:東京都千代田区
創業:1908年
資本金:4億5000万円(貝印株式会社)
従業員数:3341人(2017年3月期、連結)
業績(17年3月期、連結)
売上高:465億円