今の日銀政策委員会は個々の顔が見えない。緩和の副作用を抑え、円滑に出口に向かうために委員の発信力が問われる。
須田美矢子(キヤノングローバル戦略研究所特別顧問)
金融政策は9人の政策委員が1人1票で決める。正副総裁に審議委員6人である。1998年に施行された新日銀法の枠組みを決定した「中央銀行研究会」(橋本龍太郎首相の私的諮問機関)には筆者も参加していたが、外部の有識者による決定が金融政策の信認を高めるという考え方があって、日銀出身者が政策委員の過半を占めてはならないとした。実際には、日銀出身は9人中多くて2人だが、最近の政策決定は内部の執行部が主導しているようにみえる。
外部出身の委員は、政策委員会の決定と常に意見が同じだと「仕事をしているのか」と疑われ、目立ちすぎると“ノイズ”と批判されたりする。筆者が委員だったころは意見表明が積極的に行われ、場外乱闘と揶揄(やゆ)されることもあったほどだが、今は一部を除き一人一人の顔がよくみえない。
、政策委員会の決定と常に意見が同じだと「仕事をしているのか」と疑われ、目立ちすぎると“ノイズ”と批判されたりする。筆者が委員だったころは意見表明が積極的に行われ、場外乱闘と揶揄(やゆ)されることもあったほどだが、今は一部を除き一人一人の顔がよくみえない。
委員は金融経済の情勢判断や政策について独自の考えを持っているだろうが、多様な意見をどれだけ個別に公表すべきかは時と場合による。
各委員の考えを知りたいテーマの一つが出口論だ。黒田東彦総裁は、「出口について語るのは時期尚早で市場を混乱させかねない」とするとともに、早すぎる失敗例として米国のFOMC(連邦公開市場委員会)が2011年6月に金融緩和からの出口戦略の原則を決定したが、後に変更したことを挙げる。
だが、実態に合わせたFOMCの修正に市場がネガティブな反応を示したわけではない。それよりも、いつまでも議論を始めない日銀の方が、出口が困難であることは誰もが認めるところであるので問題だ。
FOMCでは11年6月に出口戦略の原則を決めてから出口の議論が活発になった。12年1月からは利上げ開始年について各メンバーの見通しを公表し始めた。12年12月に原則に基づく出口の選択肢と、損失の試算がスタッフにより示されると、具体的な議論が始まった。これらは市場関係者が出口への道筋を想定する際に役立ったのは確かだ。もっとも出口が近づくと市場は当局発言に敏感となり、13年5月のバーナンキFRB(米連邦準備制度理事会)議長の発言を出口に前のめりだととらえ、混乱したこともある。
早期の議論で市場が織り込む
日本は、質・量でみた緩和の程度は米国の比ではなく、長期金利の操作もあるので出口はもっと複雑だ。実際、今の緩和に比べれば非常にマイルドであった01〜06年の量的緩和の出口でさえ、大変な道のりだったというのが審議委員だった筆者の実感だ。それでも市場を混乱させることなく円滑に出口を完了できたのは、出口への取り組みを一般的にまだだと思われている時点で開始し、オープンに議論を深めたことと、市場がうまく織り込んでくれるような対話に成功したことがある。
日銀は01年に金融政策の操作目標を日銀当座預金に置き、量的目標を拡大していった。この量的緩和を解除したのは06年3月でゼロ金利解除は7月だったが、出口を市場が意識し始めたのはその3年前だ。日本の経済・物価について過度の悲観論が修正されてきたころで、03年6月には長期金利が急上昇し(VaRショック)、市場関係者は緩和の解除を意識するようになった。
市場の不安を鎮めるためにも、政策委員会が量的緩和解除の条件を明確化したのが03年10月だ。生鮮食品を除くコア消費者物価(CPI)の前年比について足元の実績値(数カ月分をならして0%以上)と展望リポートの物価見通し(1〜2年の見通し期間に0%超)の2条件を示した。その後公表された展望リポートから、解除条件が当分達成されないことがわかり、市場は落ち着きを取り戻した。
出口まで時間があるなか、委員はそれぞれ解除条件や出口の時期、技術論について自分の考えを発信した。2条件の解釈も委員によってまちまちで、そのため出口の時期の見通しも異なった。量的目標の解除に続いてゼロ金利も解除すべきか、それともゼロ金利の時期を挟むべきかという意見の違いもあり、ノイズと言われつつも市場や政府などとの対話の活発化に寄与した。早くからオープンに議論がなされることで、機能不全に陥った短期金融市場の回復方法について事前に市場関係者と協議できた。
実際に出口が近づくと政府・与党のけん制発言も増えたが、福井俊彦総裁の「判断に至れば直ちに解除したい」との発言、政府の解除容認発言などに加え、06年3月初めに公表された1月のコアCPIを受けて市場の予想は3月解除に収れんし、解除は冷静に受け止められた。株価は上昇し、ドル・円レートの変動は限定的だった。市場が冷静であったので政府なども安堵(あんど)し、7月のゼロ金利解除まで順調に進んだ。
出口論を早期に開始すべきなのは、出口の円滑化に資するだけでなく、出口を意識することで政策の副作用を多少なりとも抑制できるからだ。実際に出るかどうかは経済や物価情勢が前提だが、漠然とであれ出口が見通せるようになれば、いつまでもゼロ金利が続くとは思われなくなる。出口が見えないと陥りがちな過度のリスクテークが回避される。ゼロ金利で経営体力が弱まって先行きに悲観的な金融機関のマインドも改善しよう。
ところが、黒田総裁は現時点での出口論を封印するだけでなく、今や見通しとしての物価目標達成時期すら出さなくなった。これまでは達成時期になれば出口戦略の議論が行われると述べていた。これではゼロ金利がいつまでも続くという予想が強まり、副作用がますます大きくなりかねない。
出口論は個々の政策委員の発信に期待するしかない。出口条件の解釈、経済物価見通し、政策の効果・副作用とともに、出口が可能となると思われる時期について発信することが望まれる。自分の任期中には出口はないとみていてもだ。実際に出口が近づくと、政府などからの批判は激しくなるが、その時は総裁よりも多様性のある政策委員会が表に出る方がよい。途中はノイズ歓迎、最後はワンボイスというのが政策委員会に求めるところだ。
イールドカーブ操作の柔軟化を
政策委員の個々の考え方の表明は、現在の金融政策を柔軟にするためにも必要だ。黒田総裁はイールドカーブ(長期と短期の利回り曲線)コントロールについて導入直後の記者会見で、「経済・物価・金融情勢の変化に応じて、より柔軟に対応することが可能」と述べたが、これまでは硬直的な運営だ。金融機関の経営体力が失われつつあるなか、長期金利上昇のプラスの効果が運用や貸し出しに表れるまでは時間がかかる。現時点で長期金利目標を今の0%程度から上昇させておいた方が適切ではないかというのが筆者の見方だ。
最適なイールドカーブかどうか判断するうえでは各種指標を検討する必要があるが、代表的な指標があるわけではなく、執行部の分析を背景に各委員が判断するしかない。委員は今のイールドカーブが適切とは思わないのであれば、ぜひ政策提案してほしい。それが議論の活発化を促し、イールドカーブコントロールの柔軟化も可能となろう。
政策委員会の個々のメンバーの発信力が、今まさに問われている。
すだ・みやこ
1948年山口県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授、教授を経て90年学習院大学経済学部教授。2001〜11年日銀審議委員。11年5月より現職。著書に『リスクとの闘い』など。