インタビュー 横尾宣政・元野村証券社員
オリンパス粉飾事件を語る
「私は指南役ではない」
オリンパス粉飾事件の「指南役」として有罪判決を受け、最高裁に上告中の元野村証券社員、横尾宣政被告が2月22日、『野村證券第2事業法人部』(講談社)を出版した。オリンパス事件やバブル期の法人営業の実態について聞いた。
(聞き手=稲留正英・編集部)
── オリンパスとの関わりはいつからか。
■1986~87年、第2事業法人部在籍の終わりごろに担当になった。当時オリンパスは野村から買った債券で約100億円の損失を抱えていたが、ワラント(新株予約権)や日本鋼管株の売買で得た利益を使って解消した。もちろん合法的な取引だった。その時のオリンパスの財務担当者は山田秀雄氏(後の副社長)だった。
その後、音信不通だったが、浜松支店に勤務していた92年の1月と3月に、山田氏から運用するファンドで400億~450億円の損を出し、外資系証券の決算対策商品を使って含み損に変えたとの電話があった。しかし、当時の支店長からは「オリンパスの担当でもないし、二度と関わりを持つな」と指示され、それで終わった。
── 家宅捜索では、92年の通話時の自筆メモが押収され、「簿外債務を知りながら、粉飾決算のほう助をした」として罪を問われた。
■2000年以前は簿価会計であり、決算対策商品で実現損を含み損に変えることは違法ではなかった。私が92年の山田氏との通話内容を書き留めたメモには「そういう決算操作を毎年やっているが、監査法人に全て話して了解をもらっている」と書いてある。当然、損失の処理はオリンパス内部で終わっていると思っていた。
11年に事件が発覚して初めてオリンパスが97年に損失を簿外ファンドに飛ばしたと知った。そもそも92年には簿外債務自体なかった。それなのに、1審、2審とも私が簿外債務を知っていて、手助けしたことになっている。私は断じて指南役ではない。
── 含み損を抱えた有価証券を買い取る簿外ファンドに融資するため、オリンパスにリヒテンシュタイン公国のLGT銀行を紹介したことも、有罪の証拠とされている。
■私が六本木の飲食店でLGT銀行の担当者とオリンパス財務担当者の山田氏と会ったのは、1998年3月7日だ。しかし、入国記録によると、2月18日にLGT銀行の取締役が来日している。そして、オリンパスは同23日に簿外ファンドへの融資に必要な印鑑証明を取得している。
オリンパスの森久志・元副社長は法廷で「LGT銀行の頭取と取締役が融資審査を兼ねて来日し、下山敏郎会長が対応した」と証言している。3月7日時点で、LGT銀行とオリンパスはすでにビジネス上のパートナーだったはずだ。
── LGT銀行の書類には、あなたが簿外ファンドへの送金などを指示したサインが残っている。
■私が実際に署名したのは二つだけ。ほとんどはLGT銀行東京駐在事務所長による偽筆だ。事件の証拠開示を求めていく過程で10件見つかった。事務所長は「LGT銀行に偽筆したことが露見したら、絶対に解雇された」と法廷で証言している。また「オリンパスの指示に従って実行した」とも話している。
オリンパスは明らかに、私に知らせてはいけないとして彼にサインさせた。これだけでも、私が粉飾に関わっていない証拠になる。
── 著書の前半ではバブル全盛期の野村の法人営業の実態が赤裸々に描かれている。
■第2事業法人部で担当した100社のうち損をさせてしまったのは2~3社だけだ。ほとんどの会社は運用で大きな利益を出した。今でも胸を張って野村で働いて良かったと言える。
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◇よこお・のぶまさ
1954年兵庫県生まれ。78年野村証券入社、金沢支店、第2事業法人部、新宿野村ビル支店長などを歴任。98年退社。2011年のオリンパス粉飾事件で粉飾の「指南役」とされ、12年証券取引法・金融商品取引法違反容疑で逮捕。その後、詐欺罪、組織犯罪処罰法違反も加わる。1審、2審で有罪判決を受け、最高裁に上告中
*週刊エコノミスト2017年3月7日号 掲載