◇じゅらく・こうた
1980年千葉市生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。博士(学際情報学)。東京大学大学院工学系研究科特任助教などを経て2017年から現職。専門は科学技術社会学。13年から経済産業省の放射性廃棄物WG委員。
高レベル放射性廃棄物の地層処分に関する丁寧な理解活動は欠かせないものだが、そこに未来への死角がありはしないか。
2017年7月28日、当初の予定から半年強遅れて、政府は高レベル放射性廃棄物の地層処分に関する「科学的特性マップ」を公表した。
「マップ」は地層処分を実施する場所を選ぶ際に考慮する必要があると思われる科学的特性とその地理的な分布を「大まかに俯瞰(ふかん)」できるよう、日本地図上で示したものとされる。
政府と地層処分の「実施主体」である原子力発電環境整備機構(NUMO)は、このマップはいわゆる「最適地」を示すものではなく、マップの色分けに基づいて直ちに関係自治体に処分場候補地としての調査の受け入れを求めることもないと強調している。
「マップ」の提示は高レベル放射性廃棄物の最終「処分の実現に至る長い道のりの最初の一歩」に過ぎず、あくまでも広くこの問題の存在を知らせ、議論のきっかけにしてもらう趣旨だというのが政府・NUMOの説明だ。
かねて不透明さが批判されてきた原子力分野で、処分地選定の情報公開が進むことそのものはよいことだ。しかし、理解に努めようとする政府の活動そのものが目的化することで、問題そのものを解決に導くどころか、未来への問題の先送りや新たな利権構造の出現さえもたらしかねないと考える。
◇専門知を反映しない安易
「マップ」はもともと13年夏から秋にかけて総合資源エネルギー調査会の放射性廃棄物ワーキンググループ(WG)で議論されていた。その問題意識は、明らかに安全確保に問題のある地域が政治的理由などで選ばれる懸念を排し、公明正大さを高めよう──というものだった。つまり、このスクリーニング(ふるいがけ)の大きな目的は処分場候補地選定作業への社会の不信の払拭(ふっしょく)であった、
ところが、議論はこれからという段階で、突然、「最終処分関係閣僚会議」が13年12月に発足し、その場で「国が、科学的根拠に基づき、より適性が高いと考えられる地域(科学的有望地)を提示する。その上で、国が前面に立って重点的な理解活動を行った上で、複数地域に対し申し入れを実施する」ことが決定された。この決定内容はWGには全く示されていなかった。ある日突然、WGの検討の前提条件となったのである。この前後には「全国100カ所程度を政府が適地として提示の方針」といった、真偽不明の報道まであった。
その後、「地層処分技術ワーキンググループ」を追加設置して専門的・具体的に「科学的有望地」の要件や基準を検討したところ、全国規模で入手可能な現時点の科学的データから言えることは、積極的な意味での適地や「有望地」の絞り込みではなく、むしろ、主には明らかに「不適」な地域(例:火山、活断層の近傍など)の除外にとどまった。強いて「適地」だと言えるのは廃棄物の地上輸送をできるだけ短くして安全性やセキュリティーを高める上で、沿岸部が好ましいという点に限られた。
その結果、当初は単に「適性が高い」「低い」といった言い方をしていた色分けも、最終的には「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」「好ましくない特性があると推定される」といった回りくどい言い方になったし、「科学的有望地」の語のイメージとは裏腹に、安全上、特に優れた地域をピンポイントで示すこともできなかった。
もちろん、専門的な検討の結果を踏まえて政策の修正を図ることは悪いことではない。しかし、ピンポイントの絞り込みなどできないのは、実は専門家にとっては以前から当たり前のことであった。だからこそ、NUMOが現在、公募しているのは「処分場候補地」そのものではなく、候補地としての適性を調べる調査を受け入れてくれる地域なのである。調査は3段階が法律で定められているが、政府やNUMOはそれに合計20年程度もの時間をかけるとしている。有望地などそうそうわからないからこそ、そうした制度になっているわけだ。
議論してはじめてわかったことを反映させる修正ではなく、むしろ専門知をきちんと参照せずに安易に飛びついたアイデアを後から修正することになったことが問題なのである。
◇目的化する理解活動
さらに根深いのが、政策に内在するこのような不整合や改善余地を、政策そのものを見直すことによって解消するのではなく、政策の「趣旨」「真意」を社会に伝達する「コミュニケーション」(政府はこれを「理解活動」と呼ぶ)の展開と、その継続的改善によって解消しようとする傾向が顕著になっていることである。
唐突に登場した「科学的有望地」の語は、処分場候補地選定作業への社会の不信を払拭するどころか、むしろ、全国の複数の県や市町村から「狙い撃ち」への警戒心を招き、受け入れないとの意思をあらかじめ示す自治体が相次いで現れた。ジャーナリズムの報道にも批判的なものが多く目につくようになった。これでは「候補地探しの前進」という彼らの政策目標に対しても逆効果だ。ところが、政府やNUMOは、そうした問題への対処として、「科学的有望地」の「真意」を「説明」するシンポジウム、意見交換会、説明会、出前講義など、「理解活動」のメニューを拡充し、全国で精力的に実施した。
NUMO職員から説明を受ける地層処分セミナーの参加者(鹿児島市)
「真意」の説明を続けた末に、政府は結局、やはり「科学的有望地」の語は「誤解を招く」として、16年後半になって「科学的特性マップ」へと用語を変更した。このため、16年末までを予定していた「有望地」の提示は17年に越年したのである。
紆余(うよ)曲折の末に生まれた、「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」という「マップ」の回りくどい表現についても、「科学的有望地」などと安易に銘打たなければもっとすっきりした表現を用いることができ、その方がよほど早道ではなかったか。
そうした「理解活動」の場に参加した市民からの声は、原子力政策全体の今後、核燃料サイクル政策などの個別政策の問題、あるいは、地層処分以外の代替策の検討などに及び、既存政策の説明や「処分地探し」の範疇(はんちゅう)にはとどまらないのもしばしばだ。
政府はこうした問いかけに対しても既存の原子力政策や地層処分の合理性・正当性を説明する「理解活動」で対応しているが、市民の声の多くは説明の充実というよりも、むしろ、解決策の共考や、その上での民主的な意思決定への参加を求めているものだと筆者は理解している。
ところが、「理解活動」は選択肢ではなく決定の内容を説明するものに過ぎないから、こうした市民の問いかけには受け皿がない。
◇伝達活動という利権
さらに悪いことに「コミュニケーション」には終わりがなく、常に改善の余地が残る。他方で、シンポジウムの開催や媒体の作成・配布にはそれなりの手間やコストがかかる。こうした「コミュニケーション」の性質から、あたかも「理解活動」の継続そのものが政策の遂行、行政の実践、事業の実施であり、成果であるかのように当事者を幻惑するのも問題だ。その結果、理解活動そのものが自己目的化し、いたずらに時間を消費する一方で、問題を未来に先送りしてしまう懸念がある。
そこからは結果的に広告業界やイベント業界と結びついた利権構造が生じ、担当者レベルでの日々の努力とは裏腹に、政策や事業そのものは停滞するのではないか。なぜなら「もっとコミュニケーションが必要だ」「もっとその手法を改善しよう」という状態が続くことが、関係者にとってもっとも都合がいい構造をつくり出してしまうからである。
政策が抱える不備や矛盾、改善余地に政策そのものの質の向上や不断の見直しで対処せず、政策への支持を得るための説明の拡充にまい進しようとする姿勢は、原子力政策全体、さらには近年の政府のさまざまな政策分野に一般的に見られる傾向でもあるように思われる。
確かに行政の透明性や政策のわかりやすい説明は重要で有意義だ。しかし、それが新たなタイプの問題の未来への先送りを生まないか、注意深く目を向けていく必要がある。
(寿楽浩太・東京電機大学准教授)