この5年、日銀は無理を重ねてきた。だが、自ら方向転換はしづらい。
高橋亘(大阪経済大学教授)
黒田日銀は無理を強いられ、無理を重ねたまま、5年の総裁任期の幕を閉じようとしている。その間、ドグマ(教条)的な経済理論に依拠し、派手なパフォーマンスで短期的な成果を狙ったため、次第に政策の柔軟性を失ってきた。
このままでは、経済の裏方として働き、中長期的な視点からバランスのとれた政策を行うという日銀の良識や良心が失われていくことが心配だ。日銀が本来の姿を取り戻すことも出口の大事な課題である。
この5年間の「無理」としては、(1)大胆な金融緩和により短期にデフレ脱却ができるとしたこと、(2)達成の目算のないインフレ目標政策の導入、(3)銀行経営を軽視したマイナス金利の突然の導入、(4)財政弛緩(しかん)を許した事実上の財政ファイナンス──などが挙げられる。
大胆な金融緩和については、副総裁の一人の「実現できなければ辞任する」との安易な発言に反して目標は未達だが、同時に国民に金融緩和でデフレが簡単に脱却できるという誤ったメッセージを送ったことも問題であった。
日銀は白川方明前総裁時代から、日本経済の深刻な問題は人口・労働力による成長弱化であり、これがデフレの背景でもあり、経済政策の優先課題であることを指摘してきた。政府はようやく「生産性革命」などに本腰を入れ始めたが、日銀の誤ったメッセージにより、これまで本当の問題を軽視してきたとしたら不幸である。
◇無理を重ねた5年間
インフレ目標についても、黒田日銀は2%を国際標準とするが、達成可能な目標を実現して期待をアンカーする(つなぎとめる)ことこそが標準である。日銀は2%未達の理由として、国民が過去から現在にかけての現実に即してインフレ率を予想するという「適合的期待」を目の敵にしているが、本来、インフレ目標政策は、目標とするインフレを実現し期待を定着させるというまさに「適合的期待」を前提にしており、的外れな批判だ。
そもそも適合的期待の問題は「期待の粘着性」などとして、それ以前に日銀が調査研究のなかで公表していた。インフレ目標導入に際してそうした研究成果が軽視されていたとしたら残念である。
日銀は2016年9月、緩和強化策として、インフレ目標を達成しても緩和を続けるというオーバーシュート型コミットメントを導入したが、これにより欧米のような目標達成の前の出口入りを難しくした。
三つ目の銀行経営について、金融緩和は本来、銀行の経営環境を改善して貸し出しを増加させる。ところが、黒田緩和の下で銀行の本業である資金利益は悪化を続けた。これは本来の姿でない。
これに拍車をかけたのが16年2月の突然のマイナス金利の導入である。実はマイナス金利政策は将来の政策手段として有望視されるが、突然の導入は今後の政策余地を狭めてしまった。
16年9月、銀行経営への打撃も緩和すべくマイナス金利政策はイールドカーブコントロール(長短金利操作)に改められたが、日銀良識派の措置であろう。
四つ目の財政については、黒田日銀が、保有する長期国債を銀行券(紙幣)の流通残高以内とするという銀行券ルールを放棄して以来、財政再建は日銀自身の健全性の問題にもなった。政府の中期試算が示すように、財政再建の行方は潜在成長力の上昇による歳入の持続的増加にかかっている。
政府は財政再建の前提を「名目3%、実質2%成長」としてきたが、実際の成長力はいまだに実質1%以下にとどまっている。日銀は自分自身の問題として、この前提に異議を唱え、より現実的に堅めの試算の必要性を指摘すべきだった。
日銀が上記のような「無理」を強いられ続けた背景には、中央銀行の独立性が脅かされてきたという事情がある。
安倍晋三内閣は12年の発足時、当時の白川日銀に露骨な政治圧力をかけた。日銀は1998年施行の新法で金融政策の自主性を明記されたものの、白川日銀は日銀法改正までちらつかされ政治圧力に苦しんできた。このため日銀側も、政治とのあつれきを避けるべく「消極的な独立性」に終始した。
◇英政府は中銀の独立性を尊重
そもそも日銀の独立性は、法改正当時の政治による大蔵省たたきの副産物として生まれたという不幸な経緯があり、政治側に日銀を積極的に独立させるとの意識は薄い。欧州や英国では、中銀の独立性と財政規律は表裏一体のものであることを明確に意識し、財政インフレを排除すべく財政均衡法を定めたのに対し、日本では財政構造改革法はわずか1年で停止された。
最近では、「物価の財政理論(FTPL)」が政府と中央銀行を合体させてバランスシートを捉える「統合政府」の概念を用いて財政インフレ論を再燃させている。
何よりの問題は政治側の中央銀行の独立性への尊重の薄さである。英国とは大きく異なる。
英国のブレア政権で財務相としてイングランド銀行に独立性を付与したブラウン元首相は、リーマン・ショック時のイングランド銀行の対応に不満を述べつつも、イングランド銀行の独立性を尊重したと確言している。17年9月、イングランド銀行が主催した独立20周年国際会議でのことだ。英国と日本の相違は、より一般的に政権へのチェック勢力に対する政治姿勢の反映でもある。英国では新聞各紙の党派性は自明だし、公共放送のBBCも圧力をはねつけ政権批判を辞さない。
一方、日本では、政治側のマスコミ攻撃が強まり、世界的にも報道の自由のランキングが低くなってしまっている。中銀の独立性に対する相違もこうした政権の政治姿勢の違いを反映したものだけに根が深い。
日銀は今後、黒田再任か否かにかかわらず、新たな出発に向けてこれまでを検証し、再出発すべきだ。16年9月に包括的な検証を行ったが、自らによる検証はどうしても自己弁護的になる。また日銀内の良識派が、強硬な量的拡大派に押し切られる可能性も高い。
参考になるのが、海外の中銀で行われている第三者検証だ。例えばスウェーデン中銀は、06年から4年ごとに外部の学者による検証を受けている。第3回目の検証は10~15年を対象に、キング前イングランド銀行総裁、グッドフレンド米カーネギーメロン大教授が約1年かけて行った。中銀内外を含めて約45人との面談などを踏まえて16年1月に公表された報告は、「複数の経済シナリオを検討する必要性」や「将来金利決定・公表の妥当性」の評価から「役員構成の見直し」の提言などまで踏み込んだ、約140ページの読み応えのあるものだ。中銀の理事会などによる返答も公表されている。
日本の場合も、政治に左右されない第三者によって、政策のみならず、独立性の状況などの検証がされるべきだ。審議委員の任期をずらすことで政策の継続性を企図したのに、総裁ごとに政策が激変する現状では、本来、自主独立であるべき審議委員のあり方も問題となる。この間、独立性の付与を経験した他の中銀の知見や、日銀法制定に関わった学者らの意見も貴重だろう。
2018年は日銀法施行20年である。中央銀行の原点に返って、より積極的に、時として政府をただすような独立性を発揮することこそ、日銀のみならず日本経済再生の道である。
(高橋亘・大阪経済大学教授)
◇たかはし・わたる
1954年生まれ。78年東京大学卒業、日本銀行入行。金融研究所長などを務める。神戸大学経済経営研究所教授などを経て現職。